道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公は閨中にて語りし言も、人に対して言うべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推て知るべし。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり。戒むべし。
(正しく道義を踏み行うとする者は、華々しい偉大な業績を、世間と一緒になってちやほやしたり、むやみと褒めたりしないものである。
司馬温公(司馬光、中国北宋の政治家、学者)は寝室の中で妻と密かに語ったことも、「他人に対して言えないようなことはない」とおっしゃっている。
ここから「独りを慎む」という心得の真意をいかなるものであるか推察すべきだ。
君子(立派な人間)は、自分自身の理想を持ち、たった一人で他人が気にかけずとも慎みの気持ちを忘れず道に外れることはない、ということだ。ことさら人をあっと言わせるようなことをして、その一時だけよい気分になるのを好むのは、未熟な人のすることで、くれぐれも戒めるべきである。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
独りを慎む
慎独
言志四録の折にも取り上げています。〔2021年10月12日〕
ここでの独りを慎むとは、訳者によると「天に対しての一人ということで、それを慎む、慎みを忘れずに行動すること」とのことです。
今日の言に関して、「君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず」を想います。
天との対話で自らの生き方や言動を定める君子は、当然ながら安易な迎合はしません。
各種の組織や集団で、構成員全員が慎独の人であるのなら、問題は生ぜず、運営も上手くいくでしょう。
上司と部下が一対一で対峙し、和を図りながら仕事を進めていくのです。
しかし、なかなかそうなってはいません。
曖昧な対応が増えると、やがて愚痴を言い合うような“つるむ”行為が生じてきてしまいます。
これはやがて派閥などを生じさせ、対立や争いの火種になります。
一緒になってちやほやしたり、逆に批判や非難したりするような、安易な迎合が蔓延る小人の集団が隆盛してくるわけです。
違った観点からでは、派手な言動やパフォーマンスで他者の興味を惹こうとする人たちが、動画サイトやSNSの普及によって増えてきています。
いずれにせよ、南洲翁の言うように未熟な人たちであること
今も昔も変わらないことです。
死ぬ間際に、些末なことに人生の時間を費やしてしまった愚かさを後悔しても、もはや如何ともし難いのです。
慎独こそ、充実した人生に至ることができる道です。
世界人口は80億人に迫る勢いのようですが、様々な主張をもとにして、“つるむ”集団の争いが絶えません。
それに比べて、37兆や60兆と言われる「細胞的生命の共同体たる人間には毎日もっと故障が起こっても良いはずだが、その割にはなんと病気が少ないことか」(「生きよう今日も喜んで」平澤興著 致知出版社)
私たちの中にいる数十兆の細胞たちは
私たちに一対一で対峙して和を図ってくれています。
私たちの身体は、天からの最高の贈り物です。
この身体が朽ちるそのときまで
笑顔で慎独の日々を送りましょう。