季氏、閔子騫をして費の宰たらしめんとす。閔子騫曰わく、善く我が爲に辭せよ、如し我を復する者あらば、則ち吾は必ず汶の上に在らん。〔雍也第六〕
(季氏(魯の大夫)が閔子騫を費の代官にしようとした。
閔子騫が、その使者に向かって言った。
「私の為に断って下さい。若しも再び私をお召しになるようなことがあれば、私は必ず汶水のほとりにかくれるでしょう。)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
孔子の門人である閔子騫
彼はなぜ
登用されることを良しとせず拒んだのか
季氏が行っていた政は、民を虐げて自分勝手に振る舞う専横政治でした。
そのため閔子騫は、季氏に仕えることを拒絶したのです。
孔子はこの閔子騫を相当信頼していたようです。
閔子騫は孝行者として知られていました。
継母と義兄弟二人から冷遇されていましたが、そのことを外に語ることは一切ありませんでした。
逆に、自分が我慢すれば二人の義兄弟が暖かく過ごすことができると考え、離別しようとした実父を思い留まらせたのです。
自己犠牲を厭うことない気性、そして清廉。
さらには、物事の本質を捉えて、善と不善、徳と不徳、仁と不仁を見極めていたのでしょう。
普段は寡黙な閔子騫だったようですが、重大な場面ではこのようにキッパリと “ 道 ” を示す言動を発していたのです。
そんなことから、孔子は信頼を寄せていたのです。
もしも閔子騫が季氏の招きに応じ、費という比較的小さな町の代官になっていたらどうだったのでしょう。
きっと、“ 道 ” に従う運営を果たそうとしたでしょう。
さらに、人々にも “ 道 ” のあり方を説いていったことでしょう。
しかしそれは季氏の思惑とは違います。
やがては追放、もしくは処刑されていたかもしれません。
現代はそこまで過激な状況ではありませんが、仮に似たような場面に出くわしたらどう判断して対応すべきか、考えておくこと、心の準備をしておくことが必要です。
渦中に入り込み、その集団、組織を変えていくことも可能かもしれません。
しかし、そこの人心が荒れ切っていたなら、例えば不正や横領が日常的に行われていて誰もそれを改善しようとしないような状態であれば、かなり時間はかかるでしょう。
出処進退
いつの時代も
難しい判断を伴うもの
自分自身が抱く
人生に対する価値観
それに委ねることになります