「子曰わく、君子は周して比せず、小人は比して周せず。」
(先師が言われた。「君子は誰とでも公平に親しみ、ある特定の人と偏って交わらない。小人は偏って交わり、誰とでも公平に親しく交わらない。」)
「子曰わく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
(先師が言われた。「君子は誰とでも仲良くするが、強いて調子を合わせたりしない。小人は誰とも調子を合わせるが、心から仲良くしない。」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
君子とは、「学識,人格ともにすぐれた,道徳的にりっぱな人物」(世界大百科事典第二版㈱平凡社)であり、小人とは「品性のいやしい人,欲ぶかく性根のひねくれたつまらぬ人物,すなわち小人物」(同前述)とされます。
孔子は、君子について色々な場面で語っていますが、明確な条件や定義は示されていません。孔子自身も、人生における数々の不遇な局面に直面しており、その都度君子ならどう振舞うかを考えながら生きたようです。
今回、君子をおぼろげながらイメージするために、二つの言葉を取り上げました。ここから君子像について、間接的に、帰納法的に考えてみます。
まず、君子は誰とでも公平に、和をもって協調的に付き合う態度のようです。そして、特定の人たちとだけ付き合うことはなく、当然ながら迎合や雷同もしません。常に「個」としての判断を持ち、他者の多くが賛同しても流されません(「同ぜず」)。
例えば、特定の集団の意思決定において、必ずしも多数決に従うことはなく、場合によっては潔くその場から姿を消す勇気も持ち合わせているのでしょう。日ごろから自らの処し方について考えており、幅広い視野で長期的な視点を心がける人物像が想像されます。ちょうど二宮尊徳の言葉、「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」に合致するような人物像が思い描かれます。
それに対して小人は、自分と気の合う者とだけ付き合い、安直に迎合してしまう者です。異質なものは遠ざけ、多くの人と公平に付き合う姿勢はありません。よって、「徒党を組む」ことや「連(つる)む」ことを好み、何か大きなことを決めるような場面では、単独で対処できずに慌てふためく者です。また、属する集団の立場や存続が危ぶまれてくると、内部の他者のせいにするなど内輪もめしやすい性質を持ちます(和せず)。意外に身近にいるのではないでしょうか。
このような人間観を持っていれば、生きていくことに少し自信が持てる気がします。人間関係に悩んでいるとき、恐らく周囲には「小人」的な発想がうごめいているように思います。あるべき姿や正しい考え方を気づかせられれば、少しずつ状況や環境を変えることもできるでしょう。
また、自分自身が「小人」に陥らないよう注意し、自らの人生をより良いものに創り上げていくこと、切り開いていくことに注力することを決して忘れてはなりません。