恵芳和尚話に、安芸殿物語に、武辺は気違にならねばされぬものなりと、御申し候由。我等覚悟に合ひ候儀不思議に存じ、その後いよいよ気違に極め候となり。〔聞書第二〕
(恵芳和尚~鍋島家菩提寺、高伝寺の住持~の話によると、安芸殿は、「戦いは気違いにならなければできないもの」といわれたそうである。
これは不思議と私の覚悟にもぴったりだと思い、その後、ますます気違いをとおすことにしたのである。)
<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
狂気の哲学の基盤的教え
狂気の反対語は正気
平穏で安泰とした日常、そこから生じる感情や想いが正気とするなら
狂気は戦場での心掛けや覚悟。
日本の現状にとって、「戦場」は身近ではありません。
第二次大戦終戦から三四半世紀(75年)以上もの間、
私たちは平和を享受しています。
しかし、永遠に続く保証はありません。
狂気の思考を忘れ去る、捨て去るのは危険です。
従来の壁を打ち破らねばならないとき、新しく開拓せねばならないとき
狂気から生じるパワーが不可欠となります。
~ 死物狂いであってこそ ~
人生に対する思いがあるのなら、自分の人生においても開拓が必要です。
正気で事が済む、常識の範囲内に安住してはなりません。
「私は常々、経営において固定観念を持つことを戒めている。
利益率や組織のあり方など、
経営の常識と言われているものほど恐ろしいものはない。」
<出典:「稲盛和夫一日一言」稲盛和夫著 致知出版社>
「独創の母体とは、結局逞しい努力であり、一事への熱中であり、
寝ても覚めても研究そのものの中に生きるということではないでしょうか。」
<出典:「平澤興一日一言」平澤興著 致知出版社>
常識にすり寄るのは破滅行為
狂気の域の想いがあってこそ
独創の生となり得ます。