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COLUMNSブログ「論語と算盤」

死物狂いであってこそ

2022年1月19日

「武士道は死狂ひなり、一人の殺害を数十人して士かぬるもの」と直茂公仰せられ候。本気にては大業はならず、気違ひになりて死狂ひするまでなり。また武士道において分別出来れば、早おくるるなり。忠も孝も入らず、武道においては死狂ひなり。この内に忠孝はこもるべし。〔聞書第一 (狂気の哲学)〕

(「武士道とは死物狂いになるということである。たとえ数十人でとりかこんでも、死物狂いになっている一人を討つことはむずかしい」と藩祖直茂公はいわれた。

 正気では大仕事はできない。大仕事をするには、気違いになり、死物狂いでぶつかることである。

 また、武士道の心得といっても、あれこれ考えるようになれば、ためらう気持ちがおきる。忠も孝も考える必要はないのだ。武士道においては、死物狂いになるだけである。そうすれば、おのずと忠孝にもかなうようになるはずである。)

<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

鋭く厳しい教えです。

 

 

 これは、原著者の山本常朝が、常識ぶった計算高い者が主流を占め始めた流れを嫌気し、武士道への強い思いをあからさまに表現したものです。

 

 

死物狂いという感情は、命がけであり、そして高まった士気の極みです。

 

 

一人の死物狂いは、千人を恐れさせるに足るとも言われます。

 

 

 

死物狂いが生み出すものこそが真実。

 

そう感じませんか。そう感じるなら、そのとおりです。

 

 

決して、生ぬるい価値観に浸ってはいけません。

人生を無駄遣いすることになります。

 

 

セコム創業者の飯田亮氏は、

  「凡ではなく、非凡であるからこそ勝てる。

勝ち続けるには「狂」であることが必要」と言います。

(出所:月刊『致知』)

 

建築家の安藤忠雄氏は、

  「一度は死物狂いで物事に打ち込んでみることが必要」と言います。

(出所:「11話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」藤尾秀昭編 致知出版社)

 

京セラ創業者の稲盛和夫氏は、

  「かねてから事をなすにあたっては、「狂であれ」と言っている。」とのこと。

(「稲盛和夫一日一言」稲盛和夫著 致知出版社)

 

 

 

強い志の実現のために、自らの士気を高め続け、その願望を成就した人たち。

 

しかし、心得ておかねばならないことは、

その志はすべて世のため人のためという観点から発しているということ。

 

人間は、やはり一人では大した仕事はできないものです。

賛同者や協力者がいてこそ、一生のうちに大仕事が成し遂げられる。

 

よって、私利私欲から生れ出たものではなく、

皆を良くするという、大義から生じた志でなくてはならないのです。

 

 

 

死物狂い

それはその人の全ての遺伝子がベクトルを完全一致させ

ある方向に向かう様をいうのでしょう。

 

 

 

詩人の坂村真民氏は、生前の20世紀の最後に「日本は今が一番悪い」と言いました。

 (出所:「詩人の颯声さっせいを聴く」聞き手藤尾秀昭 致知出版社)

 

氏が発行していた「誌国」に載せた誌です。

 

 

 

 

 

 

 

この詩に詠われた私たち日本の危機は

2022年の今日

ますますその深みに入りこんでいます。

 

 

    一人一人が、この世を良くするという志に基づいた士気を持ち、

それを高め、そして死物狂いで人生を燃やし尽くすこと。

 

 

その狂気を国造りに昇華させていくことこそが

二十一世紀の日本における

唯一無二の危機回避策となるでしょう。