愛敬の心は、即ち天地生生の心なり。草木を樹芸し、禽虫を飼養するも、亦唯だ此の心の推なり。
(慈しみ敬う心は、天地が万物を育てはぐくむ心と同じである。草木を植え、鳥や虫を飼育するのも、またこの愛敬の心を推し進めたものである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
生きとし生けるものを愛し敬うこと、その心を持つこと。
それは天地が成すことと同じ、天地の心と同じ。
若い頃、きれいごとではないかと、疑ってかかっていました。
しかし、歳をとり
命の終点に近づいていることを感じ始め
改めて考え直します。
本当は、もっと早く気付くべきなのでしょう。
先日、ある中学生の立派な発言を聞き、感心しました。
多くの場合、当然とも言えますが、
模範解答のような借り物の言葉で編み上げられるものです。
しかし、その中学生の発言は、
偽りのない本心として、
私の心に突き刺さってくるものでした。
自分が中学生のとき、彼の言葉のかけらでも語れたか
否
私が愚か者だとしても、あまりにも違い過ぎる
この理由はいったい何なのだろうと考えたとき
幼少~思春期の見聞、体験の違いではないかと感じます。
高度成長の終焉後、経済もまだ伸びていた時期
聞こえてくるのは、前を見て進めという勢い
そんな雰囲気に囲まれて育った自分
しかし、いまの子供たち、
未成年の子供たちは、全く違った時代を生きています。
毎年のように我が国に降りかかる天災
しかし、人災はそれ以上かもしれません。
SNSの脅威、オレオレ詐欺、香港の共産化、ミャンマーの軍事化、テロ組織に支配されたアフガニスタン、そしてロシアのウクライナ侵略・・・、
この10年間、可能なら目をつぶりたいことが、あまりにも多く生じています。
そして、どれも一切解決できていません。
戦慄、戸惑い、怒り、絶望、あきらめ、やるせなさ、無力感・・・
人生経験の少ない子供たちに
この時代をポジティブに生きろというのは
無理な話と感じざるを得ません。
不条理と感じる社会の現状、大人は誰も答えを出してくれません。
文明が進んだはずのこの世の中において
本当に大事なことが一切解決できていない人間の無力さを
子供たちは目の当たりにし
自らの肌に染み込ませんばかりに学んでいます。
しかし、だからこそ、一人の人間として、
成熟するスピードが速くなっていると感じます。
人間のあらゆる業
醜く傲慢で残酷な行為
美しく逞しく立派な行為
いまの子供たちは、前者を目の当たりにしていますが、
その裏返しを考えてほしいと思います。
真に、美しく逞しい人間としての姿、その行為はどういうものか。
それを信じ、力強く、生き抜いて欲しいと願わずにはいられません。