愛敬の二字は、交際の要道なり。傲視して以て物を凌ぐこと勿れ。侮咲して以て人を調すること勿れ。旅獒に「人を玩べば徳を失う」とあるのは、真に是れ明戒なり。〔晩録一九八〕
~現代語訳は、前回の記載をご覧ください。~
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
前回の「言志四録」であげた言葉を再度考えます。
理由は、いま一つ納得し切れなかったためです。
今回思うこと、それは「削り、磨き、深める」です。
安岡正篤師は「自分を責めよ」と言われます。
「人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、自分を論じ、自分を知るということは、実はこれが一番大事であるにかかわらず、なかなか難しいことである。
人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。
世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか(略)よく自分を責めるがよい。」
<出典:「安岡正篤一日一言」安岡正泰監修 致知出版社>
他人や世を論じることは、誰にでもできる容易いものです。
今日の言葉にあるように、人を侮ったり、からかったりすることも同じ。
そんな時間があるのなら、自らの責務を顧みよと、
その上で自分を論じ、自分を知ることが最も重要と言われます。
人をあざけ、からかうことなど何も成しません。
こんな言動は、自分の内面から「削り」取り、排除すること、
これが自らの徳を高める第一歩でしょう。
そして自らを「磨く」こと
坂村真民氏の詩、「鈍刀を磨く」を紹介します。
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ
<出典:「坂村真民一日一言」坂村真民著 致知出版社>
自らを高めるために、わき目もふらず磨く。
自らを磨かずに放っておくと、心の中には雑草が生え、ガラクタが増え、
何もできないのに偉ぶるという、傲慢の極みに成り下がります。
自らを磨けば、他人の良い点を見出す力もつき、多くのことを学ぶことができます。
人生は、余計なことを「削り」、自らを「磨く」こと
これだけで充分かもしれません。
加えるなら、あらゆるものを大事に扱うことです。
平澤興氏に次のような一言があります。
粗末な頭などというもものはなく、
粗末に扱えばみな粗末になるが、
大事に使えばみな大事なものになる。
<出典:「平澤興一日一言」平澤興著 致知出版社>
周囲の人、物、全て大事に捉えて扱う。
他者を大事に考えて慮り、その人が花を咲かせられるよう応援する。
花を咲かせたその人は
あなたにとって大切な人
あなたにとっての宝物
自らの扱いを、大切に大事に変えるだけで、周りに宝物が溢れだします。
愛おしい、本当に愛おしい人生の瞬間。
最後に、再び安岡正篤師の言です。
「お互いがこうして生きている。考えてみれば、これくらい不思議なことはない。この悠久なる時間と、この茫漠たる空間の中にあって、たまたま時と所を一にしてこうしているという、こんな不思議なことはないということがわかれば、この現実、この刹那、この寸陰(わずかの時間)、この場、この身というものが、何よりも大事なのである。無限に愛惜すべきものになる、これを「但惜身命」という。
それを把握するためには、取りとめのない日常の身命などは、値打がない。これは不惜身命(身命を惜しまぬ)である。
真に道を得るためには、それこそ不惜身命でなければならない。何が故に身命を惜しまぬかといえば、但惜身命-本当の身命というものを限りなく愛するからである。(略)
命がけで命を惜しむ。但惜身命なるが故に、不惜身命。不惜身命にして、但惜身命になる。」
<出典:「安岡正篤一日一言」安岡正泰監修 致知出版社>
今日の言葉、「人を玩べば徳を失う」
前回は、客観的視点でとらえました。
今回は、自分の内面と対峙すること
それからから逃げるなら、
傲慢になり、人をあざけり玩ぶことに繋がりかねず、
それは自ずから、つまり自分の内面から
「徳を失う」という原理を考えてみたものです。
取るに足らない余計なものは「削り」
その上で自らを「磨き」
あらゆるものを大切に扱い自分の人生を「深める」
一人一人は、自身の愛おしい人生を創り上げる創造主です。