愛敬の二字は、交際の要道なり。傲視して以て物を凌ぐこと勿れ。侮咲して以て人を調すること勿れ。旅獒に「人を玩べば徳を失う」とあるのは、真に是れ明戒なり。〔晩録一九八〕
(愛と敬の二字は、人と交際するときの大切な道である。傲慢に人を見下すような態度で、物事を軽視してはいけない。侮り笑うような態度で、人をあざけり、からかってはいけない。
「書経」の旅獒篇に「人を侮りからかえば、結局は自分の徳を失うことになる」とあるのは、本当に立派な戒めである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人を見下す、人をあざける、人をからかう
言葉からして、良くないことだろうと解釈できますが、
ここで取り上げられた真意を理解したいところです。
なぜ見下す態度を取るのでしょうか。
自分の方が勝っていると思いたい、つまりは自分を安心させるため。
逆に、自分より勝っているみたい、
このままだでは自分の立場が危ない、つまりは自分を守るため。
自らの考えが正義と信じ、意見が相違する者を排除しようとする考え。
これは、いじめの背景に見られる心理要因の一つのようです。
こんなレベルでしょう。
要するに、実はその相手を恐れている、
まともに議論すると負けるかもしれないという不安を持っているのです。
そこで本題です。
このような態度であれば、「徳を失う」とはどういうことか。
上述の態度を取る者は、自分の保身に走っているわけで、
人として狭量であることがわかります。
すると、その態度を近くで見ている人は、
その人が取るに足らない小人であることに気付きます。
ここにおいて、徳が失われるのです。
嘲り笑っている本人が、
その実は周囲から軽蔑され、軽視すべき対象として位置付けられてしまう。
平成元年に他界された、元京都大学総長の平澤興氏は、
その著書の中で次のように語っています。
「本当に偉い人は、えらそうには言わぬ。
相手を立ててあげて、そして談笑の間にその人を伸ばすようにする。
これが出来なければ、ほんものではない。」
<出典:「平澤興語録 生きよう今日も喜んで」平澤興著 致知出版社>
かくありたいものです。