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COLUMNSブログ「論語と算盤」

生き様を天に問う

2022年3月1日

人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、おのれつくして人をとがめず、我がまことの足らざるをたずぬべし。

(人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。

 大いなる天を相手にするようなつもりで、自分自身の精一杯を尽くし、人の非をとがめるようなことをしてはならない。

 そして、もしそれがうまくいかないなら、自分の真心の足りないことを反省せよ。)

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

 

 

 

何度か取り上げた言葉です。

 

いまの時代にこそ、求められています。

 

 

この言葉には、三つの側面が感じられます。

 

 

 一つめは、何を判断基準とするか。

 

私たちは毎日、多くの選択を行っています。

掃除の順番、どの靴を履くかなど些細なことから、

人の生死にかかわるような重大なことまで。

 

あらゆる判断の折、常に天に問うことで

迷いのない、澄み渡った言動に繋げられるはずです。

 

 

 二つめは、自分の仕事レベルはどうか。

 

こちらも、日常的なものからスケールの大きなものまで、たくさんあるでしょう。

 

掃除をしたがこの程度で良いのか、

作品の完成レベルはこれで良いのか・・・。

 

ここでも天に問うことで、十分か否かが明らかになるはずです。

 

 

 三つめは、志。

 

会社員時代、ほんとうに多くのことを学ばせてもらいました。

 

いまの自分の仕事の根幹は、

会社員時代の13年間に培われたものであることは間違いありません。

 

心より感謝しています。

 

特に、入社3年後、「石の上にも3年」ということで退社の覚悟をしたとき、

思いもよらず、素晴らしい上長のもとに配属され、

教えを乞うことができたことはまさに僥倖でした。

 

その人は、過去からの業績もさることながら

自社方針を転換させるパワーがあり

それでいていつも自然体

さらにはユーモアと人間味の溢れる人柄

 

見習わなければと、いまでも思い出します。

 

 

 

あるとき、その上長は私に問いました。

 

「おまえ、どんな動機で、思いで、この会社に入ってきた?」

 

 

実は私、学生時代の終盤、あるショッキングな事態に直面し、

独立独歩の道で生きて行こうと考えていました。

 

ただ、そのための準備時間が欲しく、

とりあえず就職するという選択をしました。

 

その理由は、社会を知るため、ビジネスを知るため、

そんな動機だったのです。

 

 

当然ながら、問いへの返事は曖昧なものになってしまいます。

 

 

「そうか、俺はな、『日本中のオフィスを自社製品で埋め尽くします!』

って、入社試験で言ったんだよ。」

 

笑顔ながらも真正面を見据えた目線で言われた、

このときの場面はいまでも忘れていません。

 

 

この上長は、社会に出るときこの志を天と約束し、

30年ほどたったそのときでさえ、

その夢の実現に邁進しているのです。

 

 

身震いしました。

 

 

 

翻って私のいま、まだまだ、我が誠が足りていないようです。

 

 

人生には、「もう(過去)」も「まだ(未来)」もありません。

 

あるのは「いま(現在)」のみ。

 

 

天を相手にし、少しでも良い生き様を描くために、

 

いまこのときを、粉骨砕身努力せねばなりません。