安芸殿、子孫軍法承らざる様にと申され候事「戦場に臨みては、分別が出来て、何とも止められぬものなり。分別ありては突破る事ならず、無分別が虎口前の肝要なり。それに軍法などを聞込みて居たらば、疑ひ多くなり、なかなか埒明くまじく候。我が子孫軍法稽古仕るまじく」と申され候由。〔聞書第十一〕
(安芸殿(鍋島安芸守茂賢、鍋島家の姻戚)は、「戦場に臨むと、あれこれ分別が浮かんで、とめどもなくなるものである。なまじ分別がおきると、思いきってふんぎることができなくなる。無分別ということが、いざというときに大切な心がまえなのだ。兵法も同様である。なまじそのようなものをならっていると、迷いばかり多くなり、容易に決断がつかなくなる。我が子孫には兵法の稽古などけっしてさせぬこと」といわれたそうである。)
<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
武士の戦い、それは一瞬の隙が生死を分けます。
その一瞬を頭で考えて捉えようとしては間に合いません。
思い切った決断で踏み込み、
それによって相手の怯みを生み出し、
次の瞬間、方を付けねばなりません。
瞬間と直感、それに基づく行動が明暗を分けます。
この直観的感覚は、日ごろの鍛錬で磨くしかありません。
軍法や兵法を学び、それをいざというときに活かそうとしても、
その場面が瞬間的であればあるほど、決断を鈍らせる「毒」になります。
一瞬の真剣勝負、それがいつ訪れるのかわかりません。
日々、眼前に現れる各種の事象は、
何らかの準備の必要性を教えてくれています。
それらを感じ取り、さらに変化の気配、僅かな兆しを捉えて
その一瞬に対応できるようしておかねばなりません。
一方で、「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」
(ビスマルク:ドイツ帝国の初代宰相)も真理です。
先人の知恵を謙虚に学び、自分の人生に役立ててこそ、
現代社会を創り上げてくれた先人への恩返しになります。
そしてまた、それを後世に引き継いでいくことが、
現代を生きる私たちに与えられた役割であることも明らかです。
学びについて、平澤興氏(明治33年~平成元年、京都大学元総長)は、
著書「平澤興一日一言」(致知出版社)の「わからんとわかる」の中で
次のように語っています。
「勉強すればする程ものの見方が深くなり、
わからぬ部分とわかった部分がはっきりしてき、
しかもわからん部分の方がわかった部分よりも
遥かに広いということを感じ、
次第に謙虚にならざるを得ないのです。」
今日の言葉も、実は平澤氏の言と近しいものであり、
そしてその上で、武士として生き抜く心構えを論じているように思えます。
日ごろの直感的感覚の鍛錬
生涯を通じた学び
謙虚な心がけで修養に努めることこそが
大切な営みであると感じます。