Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

直観の鍛錬と謙虚な学び

2022年2月22日

安芸殿、子孫軍法承らざる様にと申され候事「戦場に臨みては、分別が出来て、何とも止められぬものなり。分別ありては突破る事ならず、無分別が虎口前の肝要なり。それに軍法などを聞込みて居たらば、疑ひ多くなり、なかなか埒明くまじく候。我が子孫軍法稽古仕るまじく」と申され候由。〔聞書第十一〕

(安芸殿(鍋島安芸守茂賢、鍋島家の姻戚)は、「戦場に臨むと、あれこれ分別が浮かんで、とめどもなくなるものである。なまじ分別がおきると、思いきってふんぎることができなくなる。無分別ということが、いざというときに大切な心がまえなのだ。兵法も同様である。なまじそのようなものをならっていると、迷いばかり多くなり、容易に決断がつかなくなる。我が子孫には兵法の稽古などけっしてさせぬこと」といわれたそうである。)

<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

武士の戦い、それは一瞬の隙が生死を分けます。

 

 その一瞬を頭で考えて捉えようとしては間に合いません。

 

 

思い切った決断で踏み込み、

それによって相手のひるみを生み出し、

次の瞬間、かたを付けねばなりません。

 

 

瞬間と直感、それに基づく行動が明暗を分けます。

 

 

 

この直観的感覚は、日ごろの鍛錬で磨くしかありません。

 

 

軍法や兵法を学び、それをいざというときに活かそうとしても、

 

その場面が瞬間的であればあるほど、決断を鈍らせる「毒」になります。

 

 

 

 一瞬の真剣勝負、それがいつ訪れるのかわかりません。

 

 

日々、眼前に現れる各種の事象は、

何らかの準備の必要性を教えてくれています。

 

それらを感じ取り、さらに変化の気配、僅かな兆しを捉えて

その一瞬に対応できるようしておかねばなりません。

 

 

 

 一方で、「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」

(ビスマルク:ドイツ帝国の初代宰相)も真理です。

 

先人の知恵を謙虚に学び、自分の人生に役立ててこそ、

現代社会を創り上げてくれた先人への恩返しになります。

 

そしてまた、それを後世に引き継いでいくことが、

現代を生きる私たちに与えられた役割であることも明らかです。

 

 

 学びについて、平澤興氏(明治33年~平成元年、京都大学元総長)は、

著書「平澤興一日一言」(致知出版社)の「わからんとわかる」の中で

次のように語っています。

 

「勉強すればする程ものの見方が深くなり、

わからぬ部分とわかった部分がはっきりしてき、

しかもわからん部分の方がわかった部分よりも

遥かに広いということを感じ、

次第に謙虚にならざるを得ないのです。」

 

 

 

今日の言葉も、実は平澤氏の言と近しいものであり、

 

そしてその上で、武士として生き抜く心構えを論じているように思えます。

 

 

 

日ごろの直感的感覚の鍛錬

 

生涯を通じた学び

 

謙虚な心がけで修養に努めることこそが

 

大切な営みであると感じます。