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COLUMNSブログ「論語と算盤」

処世の本質

2022年2月4日

決定覚悟薄き時は、人に転ぜらるゝ事有り。又集会話の時分、気ぬけて居る故に、我が覚悟ならぬ事を、人の申懸話などするに、うかと移りて、それと同意に心得、挨拶も「いかにも」と云う事有り。脇より見れば同意の人の様に思はるゝなり。夫れに付、人に出会ひて片時も片時も気の脱けぬ様に有るべき事なり。其の上話又は物を申しかけられ候時は、転ぜらるゝまじきと思ひ、我が胸に合はぬ事ならば、其の趣申すべしと思ひ、其の事の越度を申すべしと思ひて取合ふべし。差立てたる事にてなくても、少しの事に違却出来るものなり。心を附くべし。又予ていかがと思ふ人には馴寄らぬがよし。何としても転ぜられ、引入れらるゝものなり。爰の慥に成る事は功を積まねばならぬ事なり。〔聞書第一 教訓〕

(信念が不明確な者は、必らず人に乗せられてしまうことがある。人が寄り合って話などをしているとき、ぼんやりしているために、自分が心にきめてもいないことを人に話しかけられ、つい釣りこまれて「いかにも」などと挨拶することがあるが、これをわきから見られれば、全く同意しているように思われるであろう。従って、人にあうときには、片時も気を許さぬようにしていなければならない。

 そして、ものを話し、あるいは話しかけられる場合には、乗せられることがないように、もし自分の考えと相違している点があれば、直ちにそれを反駁し、不同意の旨をはっきりと示すつもりで応対するべきである。

 さして大きな問題でなく、ごく些細なことででも、人をおとしいれることはできるのだから、よくよく注意しなければならない。

 また、日ごろから、どうかと思うような人物には親しく近寄らぬ方がよい。どうしても乗せられ、ひきこまれるものだからである。

 こうした点で失敗しないようになるには、よくよく経験をへなければならぬのである。)

<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

現実に即した、処世しょせいじゅつの教えです。

 

 

特に、若い方々は、このような状況を心得ておいた方が良いでしょう。

 

ただし、歳を取っていれば大丈夫かというとそうでもありません。

 

歳を取るに従って、結果的に付き合う人が絞り込まれますが、

それは単に気が合うとか好き嫌いを基準にしたものであり、

今日の言葉が言うような、信念に基づいた交わりではないからです。

 

よって、中年以降に人生の挑戦を試みようと、

門外漢もんがいかんながら新しい世界に足を踏み入れるようなときには、

ことさら注意が必要です。

 

乗せられ、おとしいれられてしまう危険性を心得ておくべきです。

 

 

 

ではどうすれば良いか。

 

根本的には、人物を見抜く眼力が必要です。

 

 

簡単なことではありません。

 

どうかと思う人物の特徴的な印象として、

見るからに怪しい、真っすぐに見たとき目を逸らす、

存在感がありながら透明感が無い、などを私は感じます。

 

 

ただし、ひゃくせんれんの者は、これらを越えた振る舞いをします。

 

 

 

そこで、最も頼りになる力、それは直感です。

 

20万年前のホモ・サピエンスとして誕生してから、

連綿れんめんと培って習得してきた能力、

これらが遺伝子、DNAに刻まれているはず。

 

その、先祖からの贈り物としての直感で己の身を守るのです。

 

 

 

さて、そうは言っても、うっかり乗せられ、

められそうになったとき、どう脱するか。

 

対処が遅れても仕方ないと割り切り、

最初から筋道を立て直した論法で異議を唱えることです。

 

例えば、同意したのはこれこれこういう理由から

皆のためになる方策と思いきや、どうやら違うようだと。

 

残念だが、私の考えとは相違しており、同意しかねるという意見を述べるわけです。

 

 

このような論法を組み立てるには、それなりの背景や根拠がなければなりません。

 

日頃から、世のため人のため、

私利私欲ではなく公利公益とはどういうものか、

どういう状態かを考えておくことが必要です。

 

その思いが深ければ深いほど、相手にぐうの音も吐かせないものになるでしょう。

 

 

 

ただ、それでも百戦錬磨の者は引き下がりません。

 

何やかやとなだめに入り、その論法を飲み込んだような言い回しで、

やはり思いは同じだね、などと説得してきます。

 

そのときは、相手を見つめ、一呼吸置いた上で、

残念だが思いの向かう先が微妙に相違するようだと伝え、

失礼と言ってその場を離れます。

 

 

それでも、逃そうとしない言葉で引き留めようとするでしょう。

 

 

そこで対応してはなりません。

 

 

ぜんとした姿勢で背を向けたまま、

部屋を出るときに頭を下げ、

礼を表現して、その場を去るのです。

 

 

人物としての振る舞いが必要です。

 

 

 

のたまわくくんしてどうぜず、しょうじんは同じて和せず。<論語>

 

 

 

処世術とは、公利公益のために、天に尽くすこと

 

そしてそのことについて常に考え、

 

自らの意見と覚悟を明確にしておくことに他なりません。