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COLUMNSブログ「論語と算盤」

正しい価値観

2022年2月8日

富人をうらやなかれ。れ今の富、いずくんぞ其の後のひんを招かざるを知らんや。貧人をあなどる勿れ。渠れ今の貧、安んぞ其の後の富をたいせざるを知らんや。畢竟ひっきょう天定なれば、各々おのおの其の分にやすんじて可なり。〔晩録一九〇〕

(富める人を羨んではいけない。彼の今の富が、どうして後日の貧乏を招かないものであるとわかろうか。貧しい人を侮ってはいけない。彼の今の貧しさが、どうして後日の富のもとでないとわかろうか。

 結局、貧富というのは天が定めるものだから、各人は己の分限に安んじて最善を尽くしていればいいのである。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

よく考えれば、当たり前のこと。

 

ただ、私たちは惑わされやすいものです。

 

 

お金持ちを見て、羨ましく思う心、

どうして自分はあのようではないのか、こんなに真面目に生きているのに、

この社会は不条理だ・・・。

 

こんな思いが積み重れば、精神的に不健康になり、

他者を傷つけるような言動につながる可能性も出てきます。

 

 

 

二つの問題が見えてきます。

 

一つは、他者の持ち物、例えば富、それに対する誤った価値観を持っていること。

 

金があれば幸せ、金こそが人生の目的

 

富があっても幸せとは限りません。

また、富は手段であって目的ではないはずです。

 

 

そして、今日の言葉のように、

その人が富を失って貧しくなる可能性は普通に十分あるのです。

 

 

 

もう一つは、他者の目線や評価に影響を受けてしまう弱さ、生きる軸の甘さ。

 

人から敬われたい、真面目、誠実に見られたい、

そうしたら褒めてもらえるはず、誰かがすくい上げてくれるはずという願望。

 

真面目とは、自らが演じるものではなく、

真剣に物事に対峙している姿勢を見た他者が評する言葉です。

 

誠実さも同じです。

 

 

表づらだけを追って、

   真面目だという評価を得よう、誠実だと思われよう、

というような振る舞いに溺れてはなりません。

 

 

 

他方、貧しい人を見ると、自分はあのようでなくて良かった、可哀そうに・・・、

 

誰でも抱く感情、同情心。

 

 

しかし、当の本人は、寝食を忘れ、見てくれなど気にせず、

自らの人生を突っ走っているのかもしれません。

 

あるいは事業や人間関係で失敗し、

今は極貧ながらも復活に向けて力を蓄えているのかもしれません。

 

その人にとっての今の窮苦は、明日の富の源泉かもしれないというわけです。

 

 

一方、とんだ怠け者で、現状に甘んじているだけかもしれません。

 

また、本当に不幸な境遇の人なのかもしれません。

 

 

 

要するところ、 安直な判断に振り回されてはならないのです。

 

 

同情しているつもりが、自分でも気づかないうちに優越感を抱く、

これは考えれば怖く、またいやらしいものです。

  

 

富む者を見ても、貧する者を見ても、適切に思考面で対処することが大切。

 

 

今日の言葉にある「貧富は天定」、

    天が定めたものかもしれませんが、私見としては、

  天は貧富というものに大した重きを置いていないはずと感じます。

 

 

「神様、どうしてこんなに貧富の差をつけるのですか?」

 

「えっ? そんなの知らない、成り行きでしかないよ。

だって、私が与えたみんなの命、その意義から見ても取るに足らないものでしょ。」

 

 

 

そうですね。

 

大事なことは、自らの人生を真剣に捉えた上で、

明るく、楽しく、笑顔で、助け合って生き抜くことですね。