子曰わく、士、道に志して、惡衣惡食を恥ずる者は、未だ與に議るに足らざるなり。
(先師が言われた。
「いやしくも道に志す人で粗衣粗食を恥じるようでは、
まだ共に語るに足らない。」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
自らの貧しさを恥じているようでは、
道に志した生き方として、まだ認められたものではないということです。
何の準備も心構えもない状態で、
気位の高い場所に案内されたら、どう振舞いますか。
それは、あなたにとって出世のチャンスかもしれません。
恥をかいてはいけない。
自分はその立ち位置にふさわしい人物であると認められたい。
そんな風に考えるほど、現れてきてしまうのが、志の弱さです。
思いが真っすぐであるのなら、
臆せず、恥じず、
きちんと、静かに、佇めば良いのです。
身体からにじみ出るものは、その思い、志であり、
どこかで見たようなせこせこした振る舞い、
通りいっぺんの常識など無意味です。
もしも、そんな要素を重視する相手であれば、はなから会う意義はありません。
よって逆に、あなたが人を見定めねばならない場合、
外見や仕草に惑わされず、その相手が持つ、深い所を観察すべきでしょう。
見てくれや常識が先に立つような相手とは
真の関係は生まれません。
今日の言葉の「惡衣惡食を恥ずる」という思いは、
裏返せば「良衣良食を貴ぶ」思いになります。
志を語り合う場において、雑音に気を取られる姿、
まだまだ未熟ということです。
昨今は、マナーや常識にずいぶん重きを置くような風潮があります。
それ自体は悪いことではないでしょうが、
それらは常に“脇役”であることを忘れてはなりません。
“主役”はあくまで、志、夢、仁、人生観、価値観です。
思えば、日本の経済的凋落や心の空洞化などは、
この“主役”を置き去りにして、“脇役”に重きを置いたせいではないでしょうか。
中流の生活、平均的な人生を送りたいという願望・・・
実は、人の生きる活力を蝕む呪文です。
若い人の中には、周囲の目を強く意識する人が多いようですが、
これは悪い意味の愚かさです。
(良い意味の愚かさなら好ましいのですが。)
人の目など気にせず、独立独歩、天上天下唯我独尊で生きねば、
人生の「航海」を味わうどころか、「後悔」の人生にしかなりません。
「自分に命令しない者は、いつになっても、しもべに留まる」
<ゲーテ>
一人一人が、
常識や世間的平均に寄ろうとする受け身(受動)の思いを捨て、
人生というドラマを創り上げる能動的な生き方を追うこと、
これが日本の次代を拓くのではないでしょうか。