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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人生を愚かなものにしないために

2021年8月10日

五色ごしきは人の目をしてもうならしむ。五音ごいんは人の耳をしてろうならしむ。五味ごみは人の口をたがわしむ。ていでんりょうは人の心をして發狂はっきょうせしむ。得難きのたからは人の行いをして妨げあらしむ。ここを以て聖人は、腹のめにし目のめにせず。故に彼を去りこれを取る。五色章第十二〕

(文明を彩る五色(青、黄、赤、白、黒)は、人が持って生まれた視覚を惑わせ盲目にする。文明を奏でる五音(宮、商、角、徴、羽、これで1オクターブ)は、人の耳を聞こえなくする。文明が生んだ五味(酸い、苦い、甘い、塩辛い、辛い)は、本来の舌の働きを狂わせる。競馬や狩猟など文明の遊びから生じる熱狂は、人の心を狂わせる。めったに手に入らない宝石など文明の装飾物は、人の正しい行いに害を生じさせる。

 だから聖人は、人の内なるものを大事にし、外なるものには構わない。よって、文明を捨て、自然の道を大切にする。

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

(現代語訳は一部意訳)

  

贅沢な暮らしは怖い。

世の中の「ほんとう」がわからなくなる。

真の幸福が逃げて行く。

 

<出典:「ビジネスリーダーのための老子道徳経講義」田口佳史著 致知出版社>

 

 

 

色彩、音階、味、香り、これらは文明を感じさせ、楽しく幸せな気分にしてくれます。

 

ただし、誇張や虚飾に惑わされてはならず、心を奪われないよう注意が必要です。

 

 

 目に入る彩りに意識を奪われ、刺激的な和音に心を躍らせ、複雑な味付けに食欲をたかぶらせ、かけ事や遊びに時間を浪費し、宝飾品に資財を投じる。

 

このような日々は、その人生を狂わせます。

 

 

 虚栄や虚飾の追求、それを知らず知らずのうちにやってしまい、気付いたら人生の迷子になっているというのでは、哀れとしか言いようがありません。

 

 

 文明への処し方については、誰も教えてくれないようです。

だからと言って泣きわめいても、責任は自分が背負うのです。

 

 

 自然の法則や天の声を感じる力、そのような感性の力は、自らの内面に探し求めて、育んでいくもののようです。

 そしてそれを見出したとき、本当の意味で心が安らぐ幸福感が得られるのではないでしょうか。

 

 

 易経で、同じように、欲に目がくらむ者への戒めを見つけました。

 

鹿しかくになく、ただ林中に入る。」水雷屯すいらいちゅん

 

 (鹿を追い、狩猟の道案内人(虞)もなく、

軽々しく林に入れば迷ってしまう。)

 

 <出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>

 

 

与えられた自分の人生は、祖先や子孫、あらゆるつながりやご縁のためにも、

少なくとも愚かなものにはしたくありません。