五色は人の目をして盲ならしむ。五音は人の耳をして聾ならしむ。五味は人の口を爽わしむ。馳聘田獵は人の心をして發狂せしむ。得難きの貨は人の行いをして妨げあらしむ。ここを以て聖人は、腹の爲めにし目の爲めにせず。故に彼を去りこれを取る。〔五色章第十二〕
(文明を彩る五色(青、黄、赤、白、黒)は、人が持って生まれた視覚を惑わせ盲目にする。文明を奏でる五音(宮、商、角、徴、羽、これで1オクターブ)は、人の耳を聞こえなくする。文明が生んだ五味(酸い、苦い、甘い、塩辛い、辛い)は、本来の舌の働きを狂わせる。競馬や狩猟など文明の遊びから生じる熱狂は、人の心を狂わせる。めったに手に入らない宝石など文明の装飾物は、人の正しい行いに害を生じさせる。
だから聖人は、人の内なるものを大事にし、外なるものには構わない。よって、文明を捨て、自然の道を大切にする。
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
(現代語訳は一部意訳)
贅沢な暮らしは怖い。
世の中の「ほんとう」がわからなくなる。
真の幸福が逃げて行く。
<出典:「ビジネスリーダーのための老子道徳経講義」田口佳史著 致知出版社>
色彩、音階、味、香り、これらは文明を感じさせ、楽しく幸せな気分にしてくれます。
ただし、誇張や虚飾に惑わされてはならず、心を奪われないよう注意が必要です。
目に入る彩りに意識を奪われ、刺激的な和音に心を躍らせ、複雑な味付けに食欲を昂らせ、かけ事や遊びに時間を浪費し、宝飾品に資財を投じる。
このような日々は、その人生を狂わせます。
虚栄や虚飾の追求、それを知らず知らずのうちにやってしまい、気付いたら人生の迷子になっているというのでは、哀れとしか言いようがありません。
文明への処し方については、誰も教えてくれないようです。
だからと言って泣きわめいても、責任は自分が背負うのです。
自然の法則や天の声を感じる力、そのような感性の力は、自らの内面に探し求めて、育んでいくもののようです。
そしてそれを見出したとき、本当の意味で心が安らぐ幸福感が得られるのではないでしょうか。
易経で、同じように、欲に目がくらむ者への戒めを見つけました。
「鹿に即くに虞なく、ただ林中に入る。」〔水雷屯〕
(鹿を追い、狩猟の道案内人(虞)もなく、
軽々しく林に入れば迷ってしまう。)
<出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>
与えられた自分の人生は、祖先や子孫、あらゆるつながりやご縁のためにも、
少なくとも愚かなものにはしたくありません。