広く各国の制度を採り、開明に進まんとならば、先ず我国の本体を居え、風教を張り、然して後徐かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼に倣いなば、国体は衰頽し、風教は萎靡して匡救すべからず。終に彼の制を受くるに至らんとす。
(新しい国づくりに際し、広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化を推し進めようとするならば、まずわが国の本分(特質)をよくわきまえ、道徳の教えをしっかりと強化して、そしてその後、ゆっくりと諸外国の長所を取り入れるべきである。
そうではなく、ただむやみに外国の真似をし、見習うならば、日本の国は弱体化し、日本人の美点が失われ道徳も乱れて、救いがたい状態になってしまう。
最終的には(アジアの諸国がそうなったように)国家の独立を失って、西欧列強の支配を受けることになってしまうだろう。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
江戸幕府の開国から明治時代に移行するとき、外国の進歩的な文化や知識を目の当たりにすると、それへの憧れ、興味、夢が湧きたったことでしょう。
他から学ぼうとする姿勢は、進取の精神、進化という点でも重要な資質です。
一方で、無防備に外国の真似をしたり誇示したりすること、そして周囲もそれを迎合的に認めるような風潮になってしまうことは非常に危険だと、西郷さんは指摘しています。
現在でも似たような現象は多く見受けられます。
都会の刺激的な環境に翻弄されたり、インターネット上の目新しいものに熱中したり、興味のみに突き動かされてそれに溺れると、自分自身の軸を見失い退廃に繋がります。
興味や刺激に安易に身を委ねることなく、自分の考え方や価値観を自覚した上で、良いものは取り入れ、そうでないものは排除していくという気構えが必要です。
ビジネス上のスキルの領域においても、似たような疑念を感じることがあります。
人を牽引する力や動機付けの仕方、部下を指導・育成する力(リーダーシップ、モチベーション、コミュニケーション、コーチング)などの領域では、欧米の理論がもてはやされています。
しかし、日本の古典、例えば佐藤一斎の「重職心得箇条」や「言志四録」、山本・田代原著の「葉隠」などにおいては、これらの要諦が丁寧に示されています。
自国の知恵を活かそうとせず、
外国の技術やスキルを重用するようになったのはなぜでしょうか。
一つには、戦後教育における古典的要素の排除があるでしょう。
そして根本的な要因として、個々の事柄の根拠が明確化されておらず、場面や人によって解釈が変わる余地があるせいだと感じています。
例えば「人と会うときは柔和な笑顔でいましょう」とアドバイスされると、感覚的には賛同します。
しかし、「その根拠はどういうもの?」については、あまり考えられていません。
この点が重要であり、明確に論理立てされていれば、しっかり根付くはずです。
それがないために、真の価値よりも、流行や出所など、本質に関連しない要因に影響を受けてしまうのではないでしょうか。
西郷さんの言われるように、本分・本質をわきまえねばなりません。
情報が溢れる現代ほど、
人は無難で画一的、平均的な意見や考え方に
寄りがちになると感じます。
自分の価値観や考え方、これらの機軸を再確認し、
自分だけのオリジナルな人生を歩んでいきたいものです。
それが、天国と地獄、酸いも甘いも、艱難辛苦、喜怒哀楽、
全てを味わうことのできる最高の一生になるはずです。