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COLUMNSブログ「論語と算盤」

出会いの景色

2021年8月3日

人情の向背こうはいは、けいまんとに在り。施報せほうの道もまたゆるがせにすべきにあらず。恩怨おんえんあるいは小事より起こる。慎むべし。〔晩録 一五一条〕

(人情が自分に向くかそむくかは、自分がその人を敬しているか、あなどっているかによって決まる。人に恵を施し、人の恩に報いることも、またいいかげんにするべきではない。恩や怨は得てして小さなことから起こるものであることに注意して、十分に慎まなければならない。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

自分が信頼できる人を思い浮かべるとき、なぜ信頼する気持ちになったかを思い出します。

 

 ある人の場合、1~2回の交流のあと、仲間内に誘ってくれました。

それは単なる友人の集いなどではなく、利害が衝突することもあり得る仲間内でしたので、嬉しさと同時に驚き、そしてありがたく感謝しました。

 

 別の人の場合、初対面でお会いして以降、色々な依頼に応えたり、紹介いただいたりするうち、徐々に業務領域が増えていきました。

この人とのご縁は仕事上において極めて有益だったと、当時も今も感じています。

 

 

こんな素晴らしいご縁に日々恵まれれば、なんと幸せなことかと思います。

そう、素晴らしいご縁、それは私を喜ばしてくれるご縁、もっともっと、たくさん、無限に・・・。

 

そんな方向に意識が向かうと、どうやら良きご縁は遠ざかっていくようです。

 

 

今日の言葉は、まさにそれを表しています。

 

 

 良いご縁を得るには、自分が「素」になって、真剣に向き合わねばなりません。

損得勘定で接すると、たとえ相手がそれに気づかなくとも、良い関係性に発展した試しがありません。

 

不思議なものです。

 

 

 相手の人を尊重して向かい合い、

そこで表れる自分を見たその相手が、果たして私に情を感じるかどうか、

それは運次第かもしれません。

 

しかし、常にそのような謙虚で誠実な姿勢でおらねば、自分の人生の質は高まりません。

 

 

 相手の人を尊重せずに、自分の利になるかどうかで対応することは、相手を侮辱した姿勢とも言えます。

 これでは「情」ではなく「怨」を生み出してしまいかねません。

 

 

 先日、株式会社致知出版社の代表取締役であられる藤尾秀昭様の講演を拝聴する機会がありました。

 

 その中で、「成功する人は与えられた環境の中に価値を見出して活かすが、成功しない人はもっと良い環境は無いかとキョロキョロ探すことで一生を終える。」というお話が印象に残りました。

 

 後者は、決して悪者というわけではなく、ほとんど善良な市民でしょう。

がしかし、願わくは前者のように生きたいものです。

 

 

与えられた環境、与えられたご縁、

 

そこにある価値を見出し、活かしていくこと。

 

 

「一期一会」であることをきちんと意識し、大切にし、丁寧に接しようと思います。