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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人を育てる

2021年7月30日

〔聞書第一 教訓〕人に意見をして疵を直すと云ふは大切の事、大慈悲、御奉公の第一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。人の上の善悪を見出すは安き事なり。それを意見するも安き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひ憎き事を云ふが親切の様に思ひ、それを請けねば力に及ばざる事と云ふなり。何のやくにも立たず。人に恥をかゝせ、悪口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり。

(人に意見をしてその欠陥を改めさせるというのは大慈悲の心のあらわれであり、ご奉公の最も大切なことの一つである。しかし、そのやり方には大いに苦心を要する。

 人のことについて、その善悪を発見するのはたやすいことであり、それを批判するのも簡単なことだ。

 大ていの人は、人のいやがる、いいにくいことをいってやるのが親切だと心得、それが受け入れられなければ仕方のないことだとしているようだ。これは何の利益にもならない。

 結果として人に恥をかかせ、悪口をいうのと同じことであり、いう側の気ばらしに過ぎない。)

<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

人に教える、諭す、育成するにあたって、指導する側の心得として核心をついた言です。

 

 藩主に仕える家臣の心構えとして、諫言かんげんに際する注意事項となるのでしょう。

 

 

 今日の部分は前段部分であり、次回後段に触れようと思っていますが、後段も合わせるとかなり丁寧なアドバイスになっています。

 

 参考までに、西暦600年代の唐朝第二皇帝太宗のとき、その家臣が国の「守成」のために諫言した記録書である「貞観政要じょうがんせいよう」においては、家臣たちの姿勢はもっと高圧的に映ります。

 これは、国を安定化させるために家臣たちの意見を広く聞き入れようとする、太宗の懐の深さ故でしょう。

 

 

 それはさておき、今日の内容に心当たりはありませんか。

私など、ありたい心構えや気持ちの持ち方に反して、つい陥ってしまいがちです。

まさに自省させられます。 

 

 

 「そんなんじゃ、他人から軽蔑されるよ」という親切心で注意しているつもりが、知ってか知らずか、「指導」を出す柔道の審判のように上から目線で相手を言い聞かせようとしていませんか。

 

 

今日の言葉の中にもあるように、人の欠点は見つけやすく、

 

そしてそれを非難することも容易たやすいことです。

 

 

逆に、自分の欠点は自覚しづらく、自省することも容易ではありませんが・・・。

 

 

 欠点をさらけ出してしまったのは自分、という場面もあるでしょう。

それを他者から諫められたなら、どうです? 自然に反発の感情を覚えませんか。

 

 このとき、アドバイスする側が「やれやれ、仕方のない奴だ」とするのなら結果的に何の役にも立たないことになります。

 

 

 子供、目下の人、友人、同僚、先輩、上司、全ての人に、

より良い振る舞いを行ってもらいたいという気持ちは親切心から生じます。

 

 

ところがそれを現実化させることはそう簡単ではなく、

相手の置かれた状況や、そのときの心理状態を汲んだ上でアプローチするという、

かなり丁寧な対応が求められます。 

 

 

せっかくの親切心を無駄にせず、上手に活かしていきましょう。