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COLUMNSブログ「論語と算盤」

格物-致知

2024年4月23日

多少の人事は皆れ学なり。人う、「近来多事にして学を廃す」と。何ぞの言のあやまれるや。〔晩二六三〕

(多くの世間の事柄は、すべて学問である。人は「この頃はするべきことが多くて、学問をやめてしまった」という。これは何と誤った言葉であることか。)

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

日々の事柄から学ぶ

 

 

 

全宇宙にとって未知の今日、明日を迎えるにあたり、何の準備もしていないのは無防備すぎます。

 

鳥たちでさえ、毎朝早くから安全や餌に関する情報を仲間たち同士でさえずりあって連絡しているそうです。

 

 

 

人々は言います

 

何事もない平凡な一日は

かけがえのない幸せ

 

 

まったくそのとおりだと思います。

 

平凡な一日はそれだけ貴重なものです。

 

 

しかしそれは

 黙っていて

  誰かが与えてくれるものでしょうか

   待っていれば得られる幸せではないはず

 

 

 

 

一人ひとりが

自ら獲得した知恵で

創り上げていくもの

 

 

 

 

東洋古典の四書、その中の『大学』では “ 三綱さんこうりょう ” と “ はちじょうもく ” が示されています。

 

八条目の最初は「格物かくぶつ」から始まります。

 

これは[物にいたる][物をただす]、それによって知恵を得る「致知ちち」へと進みます。

 

そして、誠について考えをまとめる「誠意」、善悪についての真の判断力を養う「正心せいしん」、これらを経て自らの身を修める「修身」となります。

 

そこから、家をまとめる「せい」が可能になり、その先には会社組織ひいては国を治める「こく」、そしてそういう人々が増えることによって「平天へいてん」、つまり真の平和が実現できると説かれています。

 

 

真の幸福

そして平和は

一人ひとりの修養によってこそ

得られるのです

 

 

 

 

現代は教育レベルが劣化しているか、あるいは低すぎるのかもしれません。

 

偏差値競争を勝ち抜くためだけに時間を費やしている現状。

 

人生を通した知的好奇心、探求心、哲学、研究心を植え付けられない教育、それはあまりにも幼稚すぎませんか。

 

 

 

 

自分は自分の主人公

世界でただひとりの

自分を創っていく責任者

(教育者:東井義雄)

 

 

 

言われてみれば明らかなこと

 ただし

  この権利そして義務

   全て手放していませんか

 

 

自分の人生というドラマの中で

自分を主役から引きずり下ろし

単なる風景にしてしまっている

 

 

 

 

てんじょうてんゆい独尊どくそん ” 

(釈尊)

 

 

この世に生れでた私

この世で唯一の存在

ただ一人だけの

尊い存在

 

 

 

 

 

 

そういう私という人間を

輝かすことができるのは

逆に腐らせてしまうのは

 

 

すべて私自身