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COLUMNSブログ「論語と算盤」

事を為す心得(三:見識の正邪)

2024年4月27日

小人の一ぷくの邪心ちょう有れば便ち一段の邪見識有り。一段の邪見識有れば便ち一段の邪議論有り。一段の邪議論有れば便ち一項の邪朋党を引きて、一番の邪挙動をし出す。其の議論するや、援引附会してみな一家の言を成し、之を攻むれば則ち円転遷就して其の挙動を破るべからざるなり。善を借りて善を攻め、悪を匿して悪をし、善くしょうの計を為し、之を撃てば則ち疑似牽纏けんてんして断ずべからず。此れ小人の尤にして君子の迹を借る者なり。此れ君子の名をりて而して小人の私を済す者なり。〔品操〕

(小人というものは一連のよこしまな心があるから一段の邪悪な見識が出てくる。一段の邪見識があると、そこからよこしまな議論が出てくる。そのよこしまな議論から邪悪な人間が集まって徒党をつくり、よこしまな挙動を始める。その議論するのをみておると、あっちから引っ張ってきたりこっちからくっつけたりして、それぞれみな一人前のことをいう。これを攻撃すると、あっちへぬらりこっちへぬらりといった調子で、そのなすところをなかなか攻めることができない。

 善を装って攻め、悪を隠して悪をなし、ちょうど垣根の上に乗ってどちらにでも降りられるような計をめぐらして、あっちにからまったりこっちにからまったりで何やら正体がよくわからないから、すっぱりと断ずることができない。これは小人の偉い奴で君子の行為を借るものである。君子の名を藉りて小人の私利私欲をなすものである。)

<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

 

根の深い問題です。

 

 

善人、君子はいかなる時でも自らを律し、自分の生き方を模索し続けます。

 

徒党を組んでまつりごとつかさどることはしません。

 

 

例えば

マハトマ・ガンディー

二宮尊徳(金次郎)

 

 

 

 

一方、小人や悪人は、その弱さゆえに徒党を組みます。

 

そのメンバーも小人や悪人であり、子分たちもそうです。

 

 

徒党を組む目的は、自分たちの欲を満たすことです。

 

独裁制度を敷く国々は、人民の監視、情報統制、主義主張の封じ込めなど、自由な活動を許容しません。

 

 

 

このような

小人・悪人による

人民統制や独裁制度は

なぜ生まれるのでしょうか

 

 

 

 

 

善人や君子による政では、人々に対して等しく、一定の勤労、忍耐、禁欲、我慢などを求めます。

 

その政の方向性が正しければ、人々の努力の先に安心できる富、自由、穏やかな日々が待ち受けます。

 

 

 

ガンディーによる

英国からのインド独立

 

インドの人々は

 植民地支配からの

  不条理な圧政から逃れ

   自由を勝ち取りました

 

 

二宮尊徳による

桜町をはじめとする地域復興

 

人々は

 金次郎の教えから

  義務を果たすことで

   自由と安寧を得るという道理

    そしてその喜びを手に入れます

 

 

ただし、そこに至る道のりは決して平坦ではなく、各種の苦難を乗り越える必要があります。

 

 

 

 

 

一方、小人や悪人が司る、ある意味 “ 上手 ” な独裁制度では、表向きは苦労や我慢を強制することはありません

 

そのため、人々は楽を感じます。

 

ここに「ポピュリズム(大衆迎合)」の落とし穴が潜んでいます。

 

 

 

独裁制度は

やがて顕在化する不自由さ

取れる政策の少なさなどから

現状打破ができなくなり

停滞し始めます

 

すると人々の不満が高まり

独裁制度に対する批判や反論が

勢いを増し始めるため

目先を変えねばならなくなります

 

 

その手段が

他国への侵略

そして戦争です

 

 

 

 

 

幸せを感じられる平和な国になるか

停滞し自ら崩壊していく国になるか

 

それを選択するのはその国の人々であり

それは人々が君子善人ばかりでなくとも

 

“ 賢明 ” であるか否かに

かかっているのでしょう