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COLUMNSブログ「論語と算盤」

細部を押さえる

2024年4月12日

無爲を爲し、無事を事とし、無味を味わう。大なれば小に、多ければ少なし。うらみにむくゆるに徳を以てす。かたきを其のやすきにはかり、大を其の細に爲す。天下の難事は必ず易きにおこり、天下の大事は必ず細に作る。是を以て聖人はついに大を爲さず。故にく其の大を成す。夫れ輕輕しく諾すれば必ず信すくなし。易きこと多ければ必ず難きこと多し。是を以て聖人はお之を難んず。故に終に難きこと無し。

(何もしないということを仕事とする。それから何事もないというのを自分の大事とする。味を忘れたもの、それを最高の美味とする。

 おのれがほんとうに偉大なれば、かえってみずからを小さくみせる。自分の内容が多ければ、かえってみずからの内なるものを少なくみせる。人から怨みを受けた場合、これに対しては恵みをもってお返しをするがよい。

 難儀なことを図るには、そのいちばんたやすくみえるところで図る。大事を図るには、まだ、ことが大きくならない、こまかいところで測る。

 それというのが、天下のいちばん難しい仕事は、必ずたやすくみえるところから起こる。天下の一大事は、必ずこまごまとしたところから起こる。だからこそ、たやすいところで難儀を図る。こまかいところで大事を図るのである。

 だからして、聖人はついにみずからを大としない。だから結果的に真に偉大なるものとなる。

 そもそも軽々しく承諾すれば、必ず承諾すべきでないところまで承諾してしまう。その結果必ず約束を破ることになる。

 ひどくたやすくみえるもの、結果的に必ず困難が多い。

 だから聖人は、一見たやすくみえることでも、なおこれを困難としてこれに対処する。だから、最後は、なんら困難がなくなる。すんなりと事が運ぶのである。)

<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

神は細部に宿ると言われます

 

 

 

今日の言葉は、現代の私たちにとっては、先人の研鑽のおかけで、聖人の域とはいかないまでもかなりなところまで対応しているように思われます。

 

 

例えば、材木で卓を作るとします。

 

闇雲に板と太い枝を繋げても、使える代物にはなりません。

 

天板と脚の部分をどう接合するか、強度は大丈夫か、長持ちするか、用を成す大きさか、片付けられるかなど、広い視点でその効用を見定めて判別し、まずは設計から行うべきです。

 

その設計図に基づき、一つひとつの部品を切り出して接合します。

 

家でも橋でも工場でも船でも飛行機でも、形ある物を作るときの当たり前の段取りです。

 

 

 

近年、知識社会の進展に従って、物以外の設計が重要になってきています。

 

ここにおいても進め方は同じです。

 

何が求められているのか、何を提供するのか、何を理解してもらうのか、何に同意してもらうのか、何を警告すべきなのか

 

確実に伝えるための道具、見せる資料、配る資料、進め方、語り方、スピード、間合い

 

 

全て

細部を設計してから

本丸に取り掛かかるのです

 

 

 

ソフトウエアのプログラミングも同じでしょう。

 

顧客が求める要件を定義した上で取り掛からねば、全ての作業が無意味になります。

 

 

 

日常の仕事から

政治に関わる領域まで

細部がカギを握っています

 

 

 

今日の言葉では、承諾の如何いかんについても示されています。

 

話し合いの中で速やかに全体像を掴み、それを支える細部の対応が可能かどうかを判別してからでないと、軽々しく応じてはなりません。

 

そして、この判別に時間をかけるのもよくありません。

 

この判別を行わず、あるいは行えないまま応じてしまうと、やがて無理が露呈し、全面的に断らねばならない事態にもなりかねません。

 

 

 

 

設計のための “ 知識 ” を得

 

それが実現できるか

機能するかを判別する “ 見識 ” を養い

 

“ 胆識 ” によって

速やかかつ正確に実行すること

 

 

 

あやふやな思いや印象ではなく

 明確に捉えて言葉にしていくことで

  新しい価値観や世界観が得られます

 

 

そこから

さらなる進化を図ることが

可能になります