子華、齊に使す。冉子、其の母の為に粟を請う。子曰わく、之に釜を與えよ。益さんことを請う。曰わく、之に庾を與えよ。冉子、之に粟五秉を與う。子曰わく、赤の齊に適くや、肥馬に乘りて輕裘を衣たり。吾之を聞く、君子は急しきを周うて富めるに繼がずと。
(子華が斉へ使者として行くことになった。
冉先生が子華の母の為に米を請うた。
先師が言われた。
「釜を与えなさい」
冉先生は、もう少し増してやって下さいとお願いした。
先師が言われた。
「それでは庾を与えなさい」
冉先生は独断で、米五秉を与えた。
後に先師がこの事を聞いて言われた。
「赤(子華の名)が斉へ行く時には、肥えた良馬に乘り、上等の軽い皮衣を着て行った。私はかつて『君子は、貧しい者にはその不足を補ってやるが、裕福な者には継ぎ足しをしないものだ』と聞いたことがある」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
孔子の最後の言葉に大切な教えが表されています。
財とは不思議なものです。
財が無くても、自らを修養し磨くことは可能です。
しかし
財が多くなると
修養の時間が取れなくなります
多くの富者は
自らの財の管理や増殖に
振り回されています
自らを省みる機会や時間さえ
奪われているようです
そこまでして増やしても
財を残して他界してしまえば
今度は残された者たちが奪い合うという
苦境に落ちていきます
財は、一時的な欲の充足しか供与してくれません。
実のところ、私たちはそのことを知っています。
だからこそ、“ 清貧 ” に対する憧れを多くの人が持ちます。
“ 清貧 ”
財は無くても
人は美しく生きられます
ただし
修養の教育を受けられなければ
貧しさは困難でしかありません
そのため
君子は施しを行います
反対に
幼い時から貧しくても
教育で人物は創られます
斯様に
教育、教えは
大切です
修養の教育、教えが薄れてきた現代、人はどこへ向かって進めばよいか、わからなくなっているようです。
産業革命をきっかけに人類が用いる「道具」は大きく変容してきました。
その一方、「心」は何も変わっていません。
価値あるもの
愛、善、徳、協力、助け合い
排除すべきは
攻撃、暴力、差別、騙し、怠惰
ずっと変わらず
解決すべき課題として
棚上げされたまま
私たちは徐々に、道具に使われ、振り回されていることに気づくことさえできなくなってきているようです。
さらに、世界中の財が増えていることから、ますます自分自身を見失いやすくなっています。
自己修養に向けて
心を整えねばなりません
意志の力で “ 心の師 ” となること
“ 心を師 ” として感情に委ねれば
悲観にくれ
欲にまみれるしかありません
意志の力で強く生きること