福地吉左衛門(注・有馬陣に戦功あり)鶴御料理の時御請けの事 勝茂公御客御振舞ひ、鶴の御料理御座候に、御客人仰せられ候は、「御亭主様は白鶴、黒鶴など上り分けらるゝと承り候。その通りに候や。」と御申し候に付、「成程たべ分け申し候。」と仰せられ候。「さらば唯今の御料理は何と上り候や。」と御申し候に付て、「真鶴にて候。」と仰せられ候へば、御客分、「いかにしても不審に御座候。御膳方の衆御出し候へ。承るべし。」と候に付て、「福地吉左衛門参り候様に。」と仰出され候。この事吉左衛門物陰より承り候て、御台所へ参り、大盃にて数盃続け酒を呑み居り候処、召させらるゝと度々申し来り候へども罷出ず、暫くして御座に出で候へば、御客方御尋ねなされ候。吉左衛門不舌になり、「白黒鶴、いや真白鶴、黒鶴。」などと埒もなく申し候に付て、公御叱りなされ、「たべ酔ふたるさうな、引取り候へ。」と仰せられ候由。〔聞書第七〕
(勝茂公がお客にご馳走なさったとき、鶴のお料理が出された。お客人は「ご主人は白鶴、黒鶴などを味で区別なさるということを聞きましたがその通りでしょうか。」といわれた。勝茂公が「区別できます。」といわれると「ではこの鶴は何鶴でありましょうか。」と問われたので「真鶴であります。」と答えられた。
お客人は「そのようにお分かりになるとは何としても不思議。お調理方の人をお出しください。聞いてみましょう。」というので、「では福地吉左衛門、参るように。」といわれた。
この顛末を陰で聞いていた福地は、お台所へいくと大盃でたてつづけに酒を呑み、度々、お召しがあっても参上せず、しばらくしてご前に出ていったので、お客人がおたずねになった。
しかし吉左衛門は舌も回らず「白黒鶴、いや、真白鶴、黒鶴」などと、わけもわからぬことをいっているので、公は「その方、酔っているな、引き退れ。」とお叱りになったという。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
どうやら真鶴ではなかったようです。
なぜ福地吉左衛門は真鶴と答えなかったのか
殿の言い分に合わせておけば良いものを
そう思う人は、残念ながら真の出世は期待できません。
その行為は迎合でしかないからです。
いつ寝首を掻かれるか、裏切りに合うか、そういう配慮もしている殿の立場では、本音をかくして迎合してくる者こそ最も注意すべき人物です。
また一方で部下も、腹心の姿をしっかり捉えています。
腹心の部下、さらにその部下は、今の殿よりも次代の殿を支えて、より良い世にしようと思っているでしょう。
今の殿とその腹心のやり取りは、そういう部下にとっては良い教材であり、一歩離れた立ち位置から客観的にみています。
客人の前での茶番
そう斬り捨てるでしょう
福地吉左衛門は一流の武士です。
一流の武士は、真実を捻じ曲げて噓を言うことはできません。
殿に恥をかかせまいと機転を利かし、自らの不徳を演じ見せつけることで、その場を乗り切ったわけです。
大いなる知恵であり、自らの武士としての道も外していません。
そもそも料理の具材の話ですから、こういう対処でも問題ないでしょう。
これが戦に関する話なら全然違った展開になります。
人は
影響力ある者に迎合するのではなく
理想を追求し
その理想に向かって進むべき
それでこそ人間社会が進歩し
進化が生まれる
争いの絶えない時代、人は何が正しいかを真剣に考え議論していたことでしょう。
ところが、争いのない平和な世は、無難に、仲良く、角を立てず、話を合わせることに重きが置かれているようです。
どっちに転んでも
押しなべてみれば平均
これも陰と陽の働きか
しかし、知恵と機転を利かして突破することはできるはずです。
一人ひとりが自分を省みて
自らの考える
理想の姿を信じて進む
意見が衝突するなら
真剣な議論によって
より良い道を見出し
そして具現化する
今後の日本に世界に
そういう勇士が
多数出てくることを
大いに期待したい
~ 思いはきっと通ずる ~