老齢は酷に失せずして、慈に失す。警むべし。〔晩二六〇〕
(年をとると、他人に厳しすぎて失敗することはないが、愛情をかけすぎて失敗することがある。戒めなくてはいけない。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人の心の真理です
この言を裏側から言い換えると
“ 若齢は慈に失せずして、酷に失す ”
となり、これもまた真理です
若い時には、他人に厳しく意見して関係を悪化させることが往々にしてあります。
❑ 自分に厳しいが故に
他人にも厳しく接する
❑ 相手のためと訴えても
逆に疎んじられてしまう
さらにはこんな人もいるでしょう。
❑ 自分のことは棚に上げ
他人を批判することで
安息を得ようとする
いずれにせよ、自らの経験値の少なさからくる視野の狭さ、自らの観点からしか物事を捉えられないために生じる相手との認識のズレが原因でしょう。
親子にも似たような関係性が見られます。
❑ 自分の子を理想に近づけようと
矯正するような親
若さとは
相手の心を斬る刀
まったく逆に、“ 慈しむ心 ” で接することができれば、ともに心の鎧が融けて関係性が良くなるでしょう。
一方、歳を取ってくると、厳しい意見でも伝え方に工夫が加わってきます。
何かの比喩を用いて諭したり、暖かく見守りながら教訓を伝えたりと。
相手の真正面から語るのではなく、相手の横から、同じ方向を向く姿勢になります。
どう伝えれば
本当の意味で相手のためになるかを考え
相手が自ら気づいてくれるように誘う工夫
積み重ねた豊富な人生経験
その視野の広さ故に
柔軟に相手の焦点に合わせられる
それが可能だからこその工夫
祖父母と孫の関係のような
この、老齢の時期において問題になるのが “ 慈 ” 、思いやりです。
なぜお年寄りは
簡単にオレオレ詐欺に
引っかかってしまうのか
その一つの原因が
“ 慈の心 ”
ではないでしょうか
“ 慈 ” ことは尊く貴重な精神ですが、“ 弱さ ”も備えています。
“ 慈の心 ”
思いやりの心
その優しさを真の意味で役立てるには
人の生き方を厳しく捉える
正反対の視野・視点が求められます
“ 酷 ” と “ 慈 ”
“ 厳しさ ” と “ 思いやり ”
二つの観点から物事を見定めること
どちらか一方が優位に立てば
心のバランスは乱れます