進言に四難有り。人を審かにし、己れを審かにし、事を審かにし、時を審かにす。一も不審有れば、事必ず済らず。〔治道〕
(呂新吾先生の七つに分けた見識、これを人に伝える段階になると、四つの難しいことがあるというのです。
まず人をつまびらかにする。いかに濶大の識があっても、相手をよくみて伝えなければならぬことはいうまでもありません。その次には自分をつまびらかにする。自分がどういう人間であるかということをよく知っておく。耳学問で己れに似つかわしくない放言をしてみたところで、相手に通ずる筈はありません。第三には事をつまびらかにする。これも当然のことです。最後に時をつまびらかにする。何事にも時、時機というものがあって、それを逸するとかえって弊害がある。この四つのうち一つでもつまびらかでないものがあれば、事は必ず成功しないというのであります。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
進言においては
全てを明らかにした上で
土俵に上げること
不明瞭さは
進言の成果を
不十分なものにします
人を審らかに
相手の心情
置かれた状況
性格や理解力
興味や関心などを知っておくこと
必要ならプライベートな事柄まで
それを踏まえた上で伝えなければ、いくら正しい事、良い事であったとしても相手の心に届きません。
相手を知るには、機会あるごとに相手の話をよく聴くことです。
それによって相手の背景を察することができます。
自分を審らかに
「自分が知っている自分」
だけでは不十分
「自分は知らないが他人が認識している自分」についても配慮します。
相手の話をよく聴くことで、自分がどう見られているかを感じとること、ときには問うてみることも良いでしょう。
例えば乱雑さを自分の長所として捉える人もいます。
そんな人が、相手の状況お構いなしに、自分の主張や意見を伝えようとしても、相手は何となく圧力は感じるものの、中身はほとんど伝わりません。
事を審らかに
人の思考は抽象的
人は多くの場合、思い付いたときに、こうすれば、ああすれば、こうでもない、ああでもないと毎日繰り返し考えるものです。
一つひとつの事柄が具体化されていないため、それぞれに白黒つけられず、堂々巡りからなかなか脱せません。
伝えるべきことはすべて具体化して整理し、優先順位をつけ、自分の思考をスッキリさせた上で、相手に進言することを心がけねばなりません。
時を審らかに
最適な時にこそ
最適な時は、事の中身次第で、その現象が生じる前かもしれませんし、後かもしれません。
小さな時の流れにも配慮します。
朝か昼か夜か、仕事中か休憩中か
述べてきた三つの心得が揃った上で、時を狙います。
“ 時中 ”
易経で重んじられている言葉
時に中こと
~ 十分な実りを得るには
種は冬でなく春に蒔くこと ~
決して“ 時流 ” ではありません。
~ 時流を追う者は時流とともに滅びる ~
すべて
審らかにするには骨が折れます
しかし
事を為すには不可欠なことです
(審らか:物事の細かいところまではっきりしているさま。詳細を明らかにすること。)