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COLUMNSブログ「論語と算盤」

絶対を心棒に

2024年4月5日

れ壮齢の時は、事事のりえ、七十以後は、事事矩に及ばず。およそ事有る時は、すべからく少壮者と商議しもって吾がおよばざるをたすくべし。老大ろうだいさしはさみて以て壮者を蔑視することくんば可なり。〔晩二六二〕

(自分が壮年のときは、何事も道徳的規範を踏み越していたが、七十以後は、何事もそれに到達しない。だから老人になったら、何か事があるときは若い者と相談をして、自分の及ばないところを補うがよい。

自分が年長であることを鼻にかけて若い者を見下げるようなことがなければよい。)

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

歳を経るに従って

常識の枠から出られなくなる

 

 

 

世の中に、自分の “ 尖がり ” を削られているからでしょうか。

 

常識を疑う、気にしない、無視する、若者のパワーの源泉は、その “ 尖がり ” なのでしょう。

 

 

 

次代を創り出す力は、過去の経験で固められた常識から生れないことは明白です。

 

しかし、近年の若者には、その力の源泉である “ 尖がり ” が無くなっているような気がします。

 

 

 

 

20世紀の若者は

破天荒な印象

 

21世紀の若者は

 大人しく

  道を踏み外さないイメージ

 

 

20世紀の若者は

 常識知らず

  自分勝手

   枠を壊したがる

 

21世紀の若者は

常識に沿い

ひとまず自ら枠に

収まろうとする

 

 

違う見方をすれば、

 

20世紀の若者は

過去を否定しがち

伝統や仕来りに価値をおかない

 

21世紀の若者は

それとは逆に

日本の伝統や文化を

肯定している様子

 

 

21世紀の若者は、他国や違った価値観を参照することなく、自国の流れに素直に乗ろうとしているようです。

 

 

 

 

心配も募ります。

 

 

ある親子の話ですが、息子が芸術面に進みたいので就職しないと主張しました。

父親は物分かりがよいと言っていいのか、その意見を尊重し応援することとしました。

息子はその後、一人暮らしをするわけでもなく親の家で養ってもらいながら、自室で作品創りに没頭しているようでした。

数年後、いぶかしんだ父親が作品を見せろと言ったところ、出せる作品は一つもありませんでした。

 

何をしていたのか  

   - ギャンブル

 

 

 

父親も母親も、息子の自主性を信じて任せていたので、発覚が遅れてしまいました。

 

いや、本当のところは、怪しみながらも衝突を避けようと、対処を先送りしていたのかもしれません。

 

 

同意し迎合し

放っておいては

天才は別かもしれませんが

若年者は伸びていかないもの

 

 

 

一番身近な親族である親が、子の甘い将来の見通しに強く反対してこそ、子に強い信念が根付くように思われます。

 

 

 

親が反対しようが

 それでもやる

  家を出てでも

   自分の可能性を信じる

 

 

意地も用いて

自分を貫く覚悟ができる

 

 

 

このパワーこそが

次代を創り出す原動力

 

 

 

20世紀は、そういう障害や逆境を乗り越えて、さらにはライバルとの勝負、切磋琢磨を経て、技術が高まり伝承され、日本の文化が生み出されたはずです。

 

 

 

気になるのは

21世紀の若者が

そうやってきた20世紀の日本を

肯定していること

 

自分の生き方

生きていく価値観と

矛盾していないのか?

 

 

 

これからの日本はどうなるのか

誰にもわかりません

 

大きな流れにあらがうことはできないと

放っておきますか?

 

 

 

 自分の人生

  “ 相対 ” ではなく

   “ 絶対 ” を心棒において

      生きぬいてほしい

 

 

歳を経た老人は

そんな若者の意見に

耳を傾けたいのです