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COLUMNSブログ「論語と算盤」

学を好む

2024年3月12日

哀公あいこう問う、ていたれがくを好むとす。孔子こたえてのたまわく、顔回がんかいなる者有り、學を好めり。いかりうつさず、あやまちふたたびせず。不幸短命にして死せり。今やすなわち亡し。いまだ學を好む者を聞かざるなり。

(哀公(魯の君主)が「弟子の中で誰が本当に学を好むと思うか」と尋ねられた。

 先師が答えられた。

 「顔回という者がおりました。彼は怒りを自分に関係のない者にまでうつさず、過ちを二度と繰り返しませんでした。しかし不幸にも若死にをして、もうこの世には居りません。それからは、本当に学を好む者はいないようでございます」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

人生はけんの我に出会う旅

 

<株式会社致知出版社 代表取締役 藤尾秀昭>

 

 

 

人生の一瞬一瞬

人は多くを学びます

 

何を学ぶのでしょうか

 

 

 

仕事をして世に貢献していく知識

 その時代を務めるための学

  これが時務学です

 

 

人生を通して自分を高める修養

 自分を創り、徳を積む学

  これが人間学です

 

 

 

若いとき、多くの人は自分の潜在能力を100%発揮しようと時務学を学びます。

 

中には人間学の学びが優先する人もいます。

 

 

 

前者は、知識の豊富さで他者の感心を得ようとしますが、時間とともに人の記憶から薄れていくことになります。

 

 

後者は、過ぎ去った後でも記憶に残ります。

 

 

 

久々に会って、色褪せたと感じたり、逆にますます勢力が感じられたりするのが前者

 

久々に会って、滲み出る風格、味わい深い語り、新鮮にさえ感じられるのが後者です。

 

 

 

 

人間学は自分を直視することになります。

 

そのため、自分の弱いところ、浅いところ、小さいところ、がさつなところなど、自分の嫌なところと対峙しなくてはなりません。

 

 

この自己観察と反省こそが、自分を高めていくことに繋がります。

 

自分の嫌なところを見ないように避けていては、自らを高めることはできません。

 

 

 

 

 

顔回が好んで学んでいたのはこの人間学です。

 

 

孔子にとって

 光り輝く弟子

  まるでダイヤの原石

   その顔回を失ったこと

 

言葉で言い表せない

 深い悲しみだったようです

 

 

 

 

「真に学ぶとは、賢くなることなどではなく、むしろ自らの愚かさをしみじみと感じることであり、それだけに、学べば学ぶほどいよいよ謙虚にならざるを得ないのです。」

 

<出典:『平澤興一日一言』平澤興著 致知出版社>

 

 

 

 

改めて感じ入る言葉です

 

 

~ 人生は未見の我に出会う旅 ~