哀公問う、弟子、孰か學を好むと爲す。孔子對えて曰わく、顔回なる者有り、學を好めり。怒を遷さず、過を貳たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ學を好む者を聞かざるなり。
(哀公(魯の君主)が「弟子の中で誰が本当に学を好むと思うか」と尋ねられた。
先師が答えられた。
「顔回という者がおりました。彼は怒りを自分に関係のない者にまでうつさず、過ちを二度と繰り返しませんでした。しかし不幸にも若死にをして、もうこの世には居りません。それからは、本当に学を好む者はいないようでございます」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
人生は未見の我に出会う旅
<株式会社致知出版社 代表取締役 藤尾秀昭>
人生の一瞬一瞬
人は多くを学びます
何を学ぶのでしょうか
仕事をして世に貢献していく知識
その時代を務めるための学
これが時務学です
人生を通して自分を高める修養
自分を創り、徳を積む学
これが人間学です
若いとき、多くの人は自分の潜在能力を100%発揮しようと時務学を学びます。
中には人間学の学びが優先する人もいます。
前者は、知識の豊富さで他者の感心を得ようとしますが、時間とともに人の記憶から薄れていくことになります。
後者は、過ぎ去った後でも記憶に残ります。
久々に会って、色褪せたと感じたり、逆にますます勢力が感じられたりするのが前者
久々に会って、滲み出る風格、味わい深い語り、新鮮にさえ感じられるのが後者です。
人間学は自分を直視することになります。
そのため、自分の弱いところ、浅いところ、小さいところ、がさつなところなど、自分の嫌なところと対峙しなくてはなりません。
この自己観察と反省こそが、自分を高めていくことに繋がります。
自分の嫌なところを見ないように避けていては、自らを高めることはできません。
顔回が好んで学んでいたのはこの人間学です。
孔子にとって
光り輝く弟子
まるでダイヤの原石
その顔回を失ったこと
言葉で言い表せない
深い悲しみだったようです
「真に学ぶとは、賢くなることなどではなく、むしろ自らの愚かさをしみじみと感じることであり、それだけに、学べば学ぶほどいよいよ謙虚にならざるを得ないのです。」
<出典:『平澤興一日一言』平澤興著 致知出版社>
改めて感じ入る言葉です
~ 人生は未見の我に出会う旅 ~