子、大廟に入りて事ごとに問う。或ひと曰わく、孰か鄹人の子を禮を知ると謂うや、大廟に入りて事ごとに問う。子、之を聞きて曰わく、是れ禮なり。
(先師が初めて君主の先祖の廟で祭りにたずさわった時、事毎に先輩に問われた。
ある人が「誰が鄹の田舎役人の子をよく礼を弁えていると言ったのか。大廟に入って事毎に問うているではないか」と軽蔑して言った。
先師はこれを聞いて言われた。「これこそが礼だ」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
法事、お祭り、展示会などの主催者は、その経験や培った知識をもとに、正しい順番や仕来りに則って準備を行い、来賓客や来場者を待ちます。
訪れた客人も、常識や習慣、場に適した規則などに違わぬよう、そして恥をかかないように注意して振舞います。
もし客人が知識不足から不適切な言動を取ってしまったら、それは主催者側の案内不足となりかねません。格式が重んじられるような場ならなおさらです。
主催者と客人が、ともに充実した時間と空間を享受するには、常識的、基本的な所作などについてさえ確認しておくことが欠かせません。
そのために、丁寧に一つ一つ、先輩に問うて準備することが「礼」となるのでしょう。
また「礼」には、相手との共感を生み出す力があります。
会社員時代も含め、色々な方を接客したり、もてなしたりする機会がありました。
商品の成り立ちや構造、素材、サービスの内容などを説明したり、質問への返答を行ったりするわけですが、例えば自分の業界の常識的事柄でも、先方はご存じないことも多々あるわけです。
客人がこちらの説明に感心してくれたり、関心を抱かれたりしたようなら、一層誠意をもって応えようとします。
それによってさらに関心を示してくれれば、とても嬉しく感じます。
このやりとりが穏やかで、かつ相手に対して配慮あるものなら、説明側と来客側の間に温かい共感が生まれ、心の深いところでつながったような感情を覚えます。
こんな状況が生まれるのは、客人による気遣いのおかげと感じます。
本当は大方ご存知なのに、あえて尋ねてくれているのではないでしょうか。
また、接客者が誇りや自信を持って仕事をしていると感じた場合、一層発揮させてあげようとする配慮かもしれません。
こんな気遣い、思いやりのある人とめぐり会えることは、幸せなことです。
その人の「礼」を学び、今度は自分が「礼」を尽くす。
こんな素敵な関係を生み出していきたいものです。