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COLUMNSブログ「論語と算盤」

気遣いと共感

2021年7月27日

大廟たいびょうりてことごとにう。あるひとわく、たれ鄹人すうひとれいを知るとうや、大廟に入りて事ごとに問う。これきてのたまわく、れ禮なり。

(先師が初めて君主の先祖の廟で祭りにたずさわった時、事毎ことごとに先輩に問われた。

 ある人が「誰が鄹の田舎役人の子をよく礼を弁えていると言ったのか。大廟に入って事毎に問うているではないか」と軽蔑して言った。

 先師はこれを聞いて言われた。「これこそが礼だ」)

<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 法事、お祭り、展示会などの主催者は、その経験や培った知識をもとに、正しい順番や仕来りに則って準備を行い、来賓客や来場者を待ちます。

 

 訪れた客人も、常識や習慣、場に適した規則などに違わぬよう、そして恥をかかないように注意して振舞います。

 

 もし客人が知識不足から不適切な言動を取ってしまったら、それは主催者側の案内不足となりかねません。格式が重んじられるような場ならなおさらです。

 

 主催者と客人が、ともに充実した時間と空間を享受するには、常識的、基本的な所作などについてさえ確認しておくことが欠かせません。

 

そのために、丁寧に一つ一つ、先輩に問うて準備することが「礼」となるのでしょう。

 

 

また「礼」には、相手との共感を生み出す力があります。

 

 会社員時代も含め、色々な方を接客したり、もてなしたりする機会がありました。

 商品の成り立ちや構造、素材、サービスの内容などを説明したり、質問への返答を行ったりするわけですが、例えば自分の業界の常識的事柄でも、先方はご存じないことも多々あるわけです。

 

 客人がこちらの説明に感心してくれたり、関心を抱かれたりしたようなら、一層誠意をもって応えようとします。

 それによってさらに関心を示してくれれば、とても嬉しく感じます。

 

 このやりとりが穏やかで、かつ相手に対して配慮あるものなら、説明側と来客側の間に温かい共感が生まれ、心の深いところでつながったような感情を覚えます。

 

 

こんな状況が生まれるのは、客人による気遣いのおかげと感じます。

 

 本当は大方ご存知なのに、あえて尋ねてくれているのではないでしょうか。

また、接客者が誇りや自信を持って仕事をしていると感じた場合、一層発揮させてあげようとする配慮かもしれません。

 

 

こんな気遣い、思いやりのある人とめぐり会えることは、幸せなことです。

 

 

その人の「礼」を学び、今度は自分が「礼」を尽くす。

 

こんな素敵な関係を生み出していきたいものです。