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COLUMNSブログ「論語と算盤」

調和の価値と美

2021年7月22日

三十さんじゅうぷく一轂いっこくを共にす。その無にたりてくるまようあり。えんしてもって器をつくる。その無に當たりて器の用あり。戸牖こよううがちて、以てしつす。その無に當たりて室の用あり。故にの以てたるは、無の以て用をせばなり。

(車輪には30本の矢(スポーク)がある。それが一つのこしきに集まっている。車が車の働きをするのは、轂の真ん中のがらんどうの部分、そこにこそ車の働きがある。

 ろくろを回して器をつくる。その器というものは、真ん中ががらんどうであればこそ、器としての働きをする。

 断崖絶壁に戸や窓を掘り込んで、中を掘り広げてゆき、穴居住宅をつくる。そういう穴居住宅の住まいというのは、真ん中ががらんどうであればこそ、部屋の働きをする。

 だから、形あるものが人にとって利用できる、それは何によるか。何もない部分、がらんどうの部分がほんとうの働きをしているのだ。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 人は形あるものを作りますが、それが役に立つのは、その形の真ん中に入るものがあってこそ、あるいはその真ん中の機能によってこそということです。

 

 器や住居はわかりやすいですが、よく考えると色々なものが当てはまることに気付かされます。

 

 例えば筆箱は、中にペンが入ってこそ。ではペンは、中に芯が入ってこそ。では芯は、中にインクが入ってこそ。ではインクは、顔料があってこそ。では顔料は、天然素材があってこそ・・・。

 

 他にも、ギターは、ボディーの空間で音が響いてこそ。ペットボトルは、中に水分が入ってこそ。バランスボールは、中に空気が入ってこそ・・・。

 

 要するに私たち人類は、天然素材を扱うためにモノを作ってきたと考えられます。

 

では、コンピューターはどうでしょう。コンピューターの心臓部であるCPUは?

 人類の英知が入ってこそ、でしょうか・・・。

 

 

 それはさておき、ここでは「有」と「無」という対照的なものが一体化することで価値が生み出されるとされます。

 

 一方、易経では「陽」と「陰」という概念で捉えられています。

 

 「陽」は積極・剛健・推進など男性的な性質をさし、「陰」は消極・受容・従順など女性的な性質を持つものとされています。

 

 そして陽と陰は、片方だけでは何も成立せず、両者の調和によって初めて物事や天地の働き、そして一人一人の人生が上手くいくとされます。

 

 

 有と無、陰と陽、相反するものの協力と調和があってこそ価値が生まれるわけです。

 

 

 少々話は飛躍しますが、昨今はジェンダー(社会・文化的性差)への関心が高まっています。

 

 一方を不当に扱う差別的行為は無くすべきです。

ただし、単に「差を認めさせない」ではなく、お互いが「差を認め合う」、その上でどうやって「調和・協力していく」かが重要です。

 差を認識し合った上で、どうやって両者を「調和させるか」という議論にこそ価値が生まれるヒントがあると思います。

 

 ついでに言うと、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉にも、微妙な違和感を覚えます。

ワークとライフを対立するものとして、トレード・オフのような観点から捉えることは、好ましい結果につながらないでしょう。

 人々のより良い人生のために、いかにワークとライフを調和させるかという観点で捉えること、つまりは「ワーク・ライフ・ハーモニー」の実現が大切だと考えます。

 

 

「陽」にいる者は、自ら「陰」を取り込んで自分を制御しないと、

やがて失墜するとされています。

 

 

陽と陰が、お互いの手を携えて協力し合い、調和する姿こそ美しく、

そして、天道にも人道にも沿った、理想的な状態ではないかと想像します。