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COLUMNSブログ「論語と算盤」

正道を往かねば

2021年7月20日

事大小と無く、正道を踏み至誠をし、一事の詐謀さぼうを用ゆべからず。人、多くは事の指支さしつかゆる時に臨み、作略さりゃくを用いて一旦その指支えを通せば、あと時宜じぎ次第工夫の出来る様に思えども、作略のわざわ屹度きっと生じ事の必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行えば、目前には迂遠うえんなる様なれども、先に行けば成功は早きもの也。

(ことの大小を問わず、いつも正しい道を選び、真心を尽くすべきで、その場しのぎで一時の策略を用いてはならない。

 人は多くの場合、難しい状況に陥ると、その場その場で、何か策略を使ってうまくことを運ぶことができると思いがちだが、作略を用いたためにそのツケが生じ、得てして失敗するものだ。

 正しい道を選び行う場合には、一見してずっと回り道をしているようだが、先に行けばかえって成功は早いものである。)

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

 

 

 「人を相手にせず、天を相手にせよ」という、西郷さんが貫いた信念に通じる言葉と感じます。

 

策略で乗り切ったとしても、そのツケが溜まって、

結果的に二進にっち三進さっちもいかなくなる、つまりは失敗するということです。

 

 

 また、策略で得ようとする利得は、何かしら小さい事柄であり、セコイ話になりがちです。

ここにも、君子と小人の振る舞いの違いが表現されていると感じます。

 

 

 確かに、正道を見定めてその道を真っすぐ進んで行けば、ちょこちょこと寄り道しながら進むより、当然ながら早く目的に辿り着けるでしょう。

 

  しかしながら、現実社会はそう簡単にさせてもらえない事情が多数存在しています。

例えば仕事なら、毎日、毎週、毎月と目標に追われており、その中で正道を見出して行っていくには、かなりの障害もあるでしょうから、相当な力量が必要になってきます。

 

ならばどうするか?

 

 大事なことは、策略の類から生じる選択に対し、違和感を持ち、そしてその違和感を修正していく試みを続けていくことだと思います。

 

 違和感を持てるかどうかは極めて重要です。

ただし、持てたとしても、それを自ら無視するのなら救いようがありません。

 

つまり、自分の感性に正直であり、また素直であることが必要です。

 

 それでも悩みや葛藤は付きまといます。ただし、人生にゴールはないとするなら、死ぬまで悩み苦しみながら、正道を見出して進んで行くしかないのです。

 

 

小手先で扱うのではなく、正面から対峙していきましょう。

 

その上で取った行動が、今の自分の、人間としての成熟度を表します。

 

 

「私の課題は、私自身を成熟させることだ。」

 

ライナー・マリア・リルケ(ドイツの詩人)

 

 

お天道様おてんとさまから、私たち一人一人は命を与えられ、そして見られています。

 

胸を張って、自分の行いを報告したいものです。