恩怨分明なるは、君子の道に非ず。徳の報ずべきは固よりなり。怨に至っては、則ち当に自ら其の怨を致しし所以を怨むべし。
(恩を受けたら恩を返し、怨みを受けたら怨みを返すというように、恩と怨みをはっきりと分けるのは、君子の取るべき道ではない。恩を受けてそれに報いるべきなのはいうまでもない。
怨みに対しては、その怨まれるに至った原因をよく考え。自らに厳しく反省するべきである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人は、嬉しいことをされると嬉しいことでお返ししようとし、助けてもらったら助けようとするものです。反対に、恨まれたり意地悪なことをされたりしたら怒りで返そうとします。
目には目を、歯には歯を、これでは犬や猿など動物の縄張り争いと変わりません。
人間も動物ですから、即時的な反応はどうしてもそうなるのでしょうが、この対応ばかりでは40万年前の原人と変わりありません。
古代から文明を築き上げ、それを引き継いできた私たち人類は、犬や猫のように即時的な反応のみで生きてきたわけではないはずです。
感情のみではなく、そこに意志があったからこそ、人としての進化があったのでしょう。
今日の言葉は、感情的かつ一律的な行動は、君子の道ではないと諫めています。
ただ、このことは、小さいころ、心ある大人から言われませんでしたか?
「なぜ彼が君にそんなことを・・・、その理由は何なのか考えてごらん?」
もしかすると自分が悪かったのか、彼にそんなことをさせた原因は自分だったのか・・・。
少年がそれに気づけば、一歩成長することになるでしょう。
しかし、問題となるのは、この気づきの効果が末永く活き続けるかどうかです。
フランスの哲学者、アランの有名な言葉です。
「悲観主義は気分によるものであり、
楽観主義は意志によるものである。」
気分は外的要因によって左右される感情です。
感情に支配されるのであれば、悲観的な日々を送る人生が待っていることになります。
些細なことに対しても、意志をもとに対処、行動することが大切です。
やらない理由をあげたり、退路を探す行動は、気分、感情に基づいたもの。
やる意味、実現できる可能性、活路を見い出す行動は、意志に基づいたもの。
意志をもとに日々を過ごすこと、行動すること、それが有意義な人生につながるものと感じます。