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COLUMNSブログ「論語と算盤」

文、武、情の力

2024年2月27日

小山平五左衛門(注・元龍造寺一族、直茂に仕う)、高麗にて母衣ほろ脱ぎ候事 高麗御陣の中、高き所より、直茂公、下を御覧なされ候へば、母衣武者ども、皆母衣を脱ぎくつろげ居り申し候。公以ての外御立腹「陣中にて物具もののぐを脱ぐ事、不覚悟なり。何某参つて、母衣を一番に脱ぎ始め候者を、承りて参るべし。その締り申付くべし。」と仰せられ候。御使参り、右の如く申し候へば、何れも驚き、「何と申上ぐべきや。」と申し候時、小山平五左衛門、申し候は「廿人の母衣武者共、目と目をきつと見合はせ、一度に母衣をはらりと取り申し候。」と申す。御使帰りて申し上げ候へば、直茂公、「にくい者共かな。それは小山平五左衛門が申すべし。」と仰せられ候由。小山は龍造寺右馬大輔殿の子、武勇の人なり。

(朝鮮の役のときのことである。直茂公が高いところから下をごらんになると、母衣(ほろ、陣中で鎧の上にかけ矢を防ぐ布)をかけた武士たちが、みな母衣をぬぎひろげていた。公は大変、ご立腹になり、「陣中で武具をぬぐとは不心得なり。誰某は参って、母衣を一ばんに脱いだ者の名をきいて参れ。罰を申しつけるであろう。」といわれた。

 お使いの者がいってそれを告げると一同は驚いて「何と申し上げようか。」といっているなかに、小山平五左衛門がいうには「二〇人の母衣武者どもが、目と目をかわし合って、一度にぱっと母衣をはずしたのでござる。」と。

 お使いの者が帰ってそう申し上げると直茂公は「にくい連中である。そういうことを申したのは小山平五左衛門であろう。」といわれたということである。小山殿は龍造寺右馬大輔殿の子で、武勇の人であった。)

<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

 

機転を利かす

 

 

大変重要なことです。

 

 

この現代語訳を読むと、「ふ~ん、なるほど」と感じるかもしれませんが、それだけでは浅薄です。

 

一歩深めて、陣中の武士たちが大将をあざむいているようでせないと感じるかもしれません。

 

 

 

しかし、さらに深めるべきです。

 

 

著者の解説では、もしも「私ではない」といえば、仲間を売ることになります。

 

逆に「私だ」とすれば、自己犠牲を見せつけるようでうとましくなります。

 

恐らく、「いや私だ」、「いやいや私だ」と、収拾がつかなくなるだろうとのことです。

 

そして、小山平五左衛門の申し開きは実に鮮やかで、直茂も一本取られたとしています。

 

 

 

 

しかし、これだけでもないと思います。

 

もっと背後にある思い、真意を探りたいと思います。

 

 

 

矢が飛んでくる可能性がある場所で、防御服である母衣を脱ぐ武士はまずいないはず。

 

陣中とはいえ、そこはきっと安息できる場所であったと考えられます。

 

武勇の人、小山平五左衛門は、ここなら母衣を外してしばし休息できる場だと判断したはずです。

 

 

しかしその意に反し、大将直茂はその行為をとがめます。

 

このとき、上述したように同僚を売れば隊全体の士気は大きく下がるでしょう。

 

誰もが、裏切られる可能性を感じることになります。

 

 

また、「自分だ、自分だ」という自己犠牲の振る舞いは、裏を返せば皆が大将に刃向かう状態、つまり「武士対大将」の構図を作り上げてしまいます。

 

これもまた隊としてのまとまりが弱まり、勝てる戦も負けてしまいかねません。

 

 

つまり

 小山平五左衛門の申し開きは

  大将を含む隊全体を守るため

   隊の団結力を損なわないための

    優れた機転だったと言えるのです

 

 

文武のみならず、人の情の面にまでをも考慮した策と感じ入ります。

 

 

 

 

 

 

全てにけた

たぐいまれなる力量を持つ武士

 

感嘆せずにはいられません