大國を治むるは小鮮を烹るが若し。道を以て天下に蒞む。其の鬼、神ならず。其の鬼、神ならざるのみに非ず。其の神、人を傷らず。其の神、人を傷らざるのみに非ず。聖人も亦た傷らず。夫れ兩つながら相傷らず。故に徳、交々歸す。〔治大國章第六十〕
(大国を治めるには小魚を煮るようにせよ。つまり箸でかきまぜないことだ。
大宇宙に君臨するのは道である。道の支配の仕方もまたかきまぜないことを本則とする。
つまり地は地の職分のみを守って、天の職掌を犯さない。地が天の領域を犯さないだけでなく、天もまた天の職分のみを守って、人間の領域を犯さない。天が人間の領域を犯さないだけでなく、聖人もまた自分の職分のみを守って、天地の領域を犯さない。
天地と聖人と、両方ともそれぞれの領域を犯さないから、天地の恵み、聖人の恵み、どちらもがそれぞれの手柄に帰する。)
<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>
天は万物をおおい
地は万物をのせ
聖人は人民を教化する
それぞれの職分は明確に分かれています。
お互いの職分を侵食しないことで、それぞれの徳はそれぞれに帰すのです。
大宇宙に君臨する “ 道 ”
“ 道 ” は、これら三者の職分を配置した後、決してかきまぜないとのこと。
しかし近年、この仕組みが果たして機能しているのか、疑問を感じざるを得ません。
天は大きく気候を変えているよう
地は自らの構成を変えているよう
特にこの国の私たちにとって不安は尽きません。
なぜ天と地は、このような振る舞いを見せるのか。
もとを辿れば、我々人間が天と地の職分を犯してしまったからかもしれません。
原文には、“ 神 ” と “ 鬼 ” が出てきます。
“ 神 ” は陽、“ 鬼 ” は陰を表しているとのこと
陽と陰は、表と裏の関係、つまり常にセットです。
陽としての天が荒れれば、陰としての地も荒れる
陰の地が暴れれば、陽の天も暴れる
人の世に目を移すと、聖人は影を潜めています。
人の徳が無くなり、三者のバランスが崩れてきているのでしょうか
“ 道 ” は、現世を治めるのをやめ、一度かき混ぜようとしているのでしょうか
人類が存在し続けるためには、徳を積まねばなりません。
科学も必要ですが、それは天地人が良くなるための道具として用いるべきです。
徳を養い
そこから知恵を出し
工夫を加えて
人の徳を形にしていくのです
できるでしょうか
間に合うでしょうか
はたして