人情の識有り、物理の識有り、事体の識有り、事勢の識有り、事変の識有り、精細の識有り、濶大の識有り。此れ皆兼ぬべからざるなり。而して事変の識は難しと為す、濶大の識は貴しと為す。〔精細〕
(そこでどうしても精細の識。いろいろな部分に亘ってのつっこんだくわしい識が要るのは当然であります。だが幾ら精細の識があっても、一局にとらえられておったのでは問題・事変の解決はできません。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
前回、“ 自らの感性を磨き高めることが重要 ” と記しましたが、では具体的にどうすれば良いのか。
全くわかりません。
ただ、自分自身に注目し、自分を取り巻く外部環境の一つ一つの変化、それが何を意味するのか、考え、思いをはせることでしょうか。
具体的な“ 識 ” として、科学的な知識、そして見識を身に付け、胆識(注)を実践することが求められます。
多くの様々な資料を集めて知識を得て
現実にあてはめて整合性と共に納得し
他者に対して信念を持って訴求する
充分とは言えませんが、小さな事柄に対しても、このように知識・見識・胆識を体感・実践していくことが、自らの感性を育む栄養素となるでしょう。
(注)
・知識:単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識 ~本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る
・見識:この人生、人間生活とはどういうものであるか、或はどういう風に生きべきであるか、というような思慮・分別・判断というような識 ~単なる知識では出てこない
・胆識:見識を具体化させる識 ~今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない。また見識を持った人は時折あるが、胆識の士に至ってはまことに寥々たるものです。これが現代日本の大きな悩みの一つであります。
<出所:『安岡正篤一日一言』安岡正泰監修 致知出版社>
しかしながら
私たち人類が得てきた科学の知見は全くもって十分ではありません。
宇宙を構成する物質の90%以上はダークマターやダークエネルギーで占められており、その正体は今もって不明です。
わかっているのは10%足らず。
地球内部のことも科学的推論だけであり、実際にマントルを見てきた人はいません。
まるで、宇宙の神が少しのヒントを人類に与え、遊ばせているような・・・
もっと深いところにある真理は、現在の我々の概念では知る由もないのでしょうか・・・
真理は、1、2、3、という数字を用いて検討する延長線上にはないのでしょうか・・・
違う次元
違う尺度が必要なのか
少し観点を変えます。
美しく、最高品質の品物を作ることに価値を見出すメーカーがあり、
その品物を売って収益を得ることに注力するお店があるとします。
この商いという物語が完成するためには
最終段階
まさにラスト・マイルが肝心となります。
丁寧に運び
きちんとした
コミュニケーションで
顧客に届ける
この最終段階が担う一連の行為の調和、これが抜けると、美観や品質など意味を成しません。
お店の接客も表面的で空虚な行為でしかなくなります。
日常でも見られる
科学と真理のすれ違い
真理
その一側面は
“ 調和 ”