昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎う。人生百年、此くの如きに過ぎず。故に宜しく一日を慎むべし。一日慎まずんば、醜を身後に遺さん。恨むべし。羅山先生謂う、「暮年宜しく一日の事を謀るべし」と。余謂う、「此の言、浅きに似て浅きに非ず」と。〔晩二五八〕
(昨日を送って今日を迎え、今日を送って明日を迎える。人生百年生きたとしても、これの繰り返しに過ぎない。だからこそ、一日を慎まなくてはならないのである。一日を慎まなければ、死してのちに醜名を残すことになる。これは残念なことだ。林羅山先生がおっしゃった。「晩年になったら、その日一日のことだけを考えて生きるがよい」と。私は「この言葉は浅薄なように思えるけれど、決して浅薄ではない(非常に意味が深い)」と思う。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
いまを生きる
過去を悔いず
未来を憂えず
一日一日を慎んで生きる
生きる上での大切な心がけです。
慎む
それは自分の心を整えること
事物に丁寧に対処すること
そういうことではないでしょうか
慎んで生きる気持ちになれば、人や物に対して丁寧に接することができます。
そうでなければ、思い付きや気まぐれ、そんな言葉や行動を生んでしまいます。
今日一日を慎んで生きるとき、過去を後悔することはありません。
明日や来年のことを憂うこともありません。
ただ
いまを
生きる
しかし、慎んで生きることにも工夫が必要です。
人は、昨日よりも納得したい、心を豊かにしたい、成長したいというような願望があります。
それをどうやって、日々形にしていくか
渋澤栄一、安田善次郎、北里柴三郎、後藤新平、大隈重信らと交友のあった、日本初の林学博士である本多静六氏(1866~1952)。
ほぼ財産ゼロの状態から、大学に奉職して以来、「四分の一天引き貯金」なるものを発案、実践し、現在の価値で数百億という巨万の富を築いた人。
その生き方は、道理に沿った考え方、論理と感情を両方持ち合わせた、まさしく慎み深いものだったようです。
博士は、東京帝国大学を定年退職したとき、それら大資産のほとんどを公利・公益のために匿名で寄付しています。
匿名ということ、これは人間観察による人の情の理解から得た、自らの人生教訓としての慎みある行為です。
博士は当初、晩年は「山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽隠居をする」計画だったそうですが、七十歳を過ぎ、八十歳を過ぎても身体も心も矍鑠としていて、とてもそんな心境にはなれなかったようです。
そこで、自分の信念であった「人生即努力、努力即幸福」は歳をとっても真実であると気付き、どこまでも学び続け、働き続けようと決められたとのこと。
<出所:本多静六 開運と蓄財の秘術
『財運はこうしてつかめ』
渡部昇一著 致知出版社 >
慎んで生きること
それは人生の幹を
太くしていくこと
“ 私は人間の生き方には三つのタイプがあると思っています。
一つ目は、「これまでこうだったから」と過去の延長に留まる生き方。
二つ目は、将来に向けて明確な目標を立て、そこから逆算して着実に歩んでいく計画的な生き方。
そして三つめは、遠い将来のことよりも、その時その時に直面する物事に対して、「こうありたい」という一歩先の未来に目を向け、可能性が見えたら、一所懸命に取り組んでいく生き方です。
振り返ると、私はその時の状況の中で、出くわした物事に対し、真正面から体当たりして、全力で取り組み、変化対応してきました。”
<引用:『一生学べる仕事力大全』藤尾秀昭監 致知出版社 P73
鈴木敏文(セブン&アイホールディングス名誉顧問)>
慎んで生きる
その神髄