生野織部(注・光茂に重用され、家老職)教訓の事 常朝年若き時分、御城にて寝酒の時、織部殿申され候は、「奉公の心入の事申せと将監殿申され候故、心安に付て申し候。我等は何も存ぜず候。さりながら首尾よく、召使はるゝ時は、誰も進みて奉公をするなり。下目な役になり候時、気味をくさらかす事あり。これが悪しきなり。勿体なきことなり。只今、結構な役仕る者に、水汲め、飯たけと仰付けられ候時、少しも苦にせず、一段すすみてするがよしと、我は覚えたり。年若くして而も気過ぎに見え候間、心入れ入るべし。」と申され候由。
(常朝が若いころ、お城で寝酒をいただいているとき、生野織部殿がいわれたことには、
「奉公の心がけをいえと中野将監殿がいわれるので、心安い間柄故にお話しましょう。自分などには何もわかってはおりませんが、勤めが具合よくいくときには誰しも進んで奉公をするものです。しかし、つまらぬ役を与えられたときには気分をくさらしてしまうことがある、これがよくないのです。もったいないことです。
現在、結構な役をしているものに対して、水をくめ、飯をたけとおおせつけられたとき、少しもそれを苦にせず、一段と積極的に働くのが真の奉公と心得ております。あなたなどは、お若く、しかも気性がすぐれすぎておられるので、こうした点を十分にご注意なさるのがよいでしょう。」
とのことであった。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
人は自分の成長を常に求めるようです。
以前テレビで、投資等で一生遊んで暮らせるほどの金銭を得た人たちを特集していました。
その人たちが遊んでいる最中のインタビューで、「もうこんな生活をやめて、毎日仕事をする生活に戻りたい」という人がいました。
「なぜ?」との問いに、「自分の成長が実感できない」という返事。
どんな状況に置かれた人でも、相対的な評価や価値観ではない、自分が感じる絶対的な価値観に沿う日々が必要なのでしょう。
刑務所で罪を償っている人や引き籠りの人も、どうやって成長するか、成長できる場はどこか、考えているのでしょう。
仕事で成長できていると
実感できることは幸せです
意欲はますます高まり
希望や挑戦心も膨らんできます
しかし
そんなとき
簡単にできる
些細な仕事を命じられたら
その仕事では成長を感じられないと、やる気が萎えるのではないでしょうか。
ただし
そこが勝負どころ
訳者は解説で
「適材適所はたしかに望ましいことである。しかし組織の一員として働く以上、自分が希望しない地位や部署につけられる可能性は常にある。
そうしたとき、意気消沈して投げやりになるか、或は新しい部署の仕事を見事にこなしてやろうと張り切って立ち向かうかで、その人の資質は判断できよう。」
と付記されています。
自分の生活の中で楽しいことばかり
例えば遊びに出かけたり
友人と飲みに行ったり
映画に音楽鑑賞
趣味に興じる
そんなことばかりやって
掃除洗濯
ゴミ出し
きちん食事をとる
これらをしなければ
真っ当な生活ができなくなります
車の運転でも同じです。ただアクセルを踏めばよいのではなく、ハンドル捌きも必要です。
ほかにも、バックミラーはしっかり見えるか、暗がりではライトがきちんと点くかなど、全体としての調和を取り、しっかりと成立させるためには、全ての事柄に配慮して備えておかねばなりません。
やらなければならないことを
きちんとやっておかないと
全体が成立しません
手抜かりがあると
隙間から漏れ出たものに
足を引っ張られます
凡事徹底
必ず心掛けておきたいものです