人を治め天に事うるは嗇に如くは莫し。夫れ惟嗇、是を以て早く復る。早く復る、之を重ねて德を積むと謂う。重ねて德を積めば克くせざる無し。克くせざる無ければ、其の極を知る莫し。其の極を知る無ければ、以て國を有つべし。國を有つの母は、以て長久なるべし。是れを根を深くし、柢を固くすと謂う。長生久視の道なり。〔治人事天章第五十九〕
(天下国家を治める道、あるいは天の神につかえる道としては、物惜しみ、吝嗇ということに及ぶものはない。
吝嗇であるということは、宇宙の根源、無という所へ帰る近道でもある。
そういうふうに近道をして根源に帰る人、これはいやがうえにも徳を積んだものといえるであろう。
このように徳を積めば、なんでもできる。その働きは限界が知れない。
その限界が知れないようであれば、それこそ国を永遠にたもつことができるであろう。
そういう国家をたもつための母、つまり民の養い方、それは、自分の肉体的な生命を養う道と通ずるものがある、それはどちらも永遠に生き続けることのできる道である。
いわば、根を深くし、幹を固め、いつまでも生きて目をつぶることのない道である。)
<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>
原文の通釈にない補足を転記しておきます。
嗇、吝嗇とは、余りがあるけれどもそれを全部は使わないという意味、物惜しみということです。
嗇であれば、何かを持っていても持っていないように見える。
その中に実があるけれども空っぽのように見える。
そういうやり方こそが人を治める道であり、天につかえる道でもあるとのことです。
組織の長や人を指導する立場の人
大胆な言動を見せる人がメディア等でも注目されますが、他方ではおとなしく口数の多くない人も多数います。
前者は、力強く有言実行、ダンプカーのような馬力が感じられます。
欧米の経営者やリーダーのイメージですが、実際にはこういう人は多くはいません。
実のところ、こういう人の周りにつくと大変なことも多々あるようです。
一方後者は、一定の時間近くにいないとその魅力がなかなか見えてきません。
そのせいか、周りにつく人や部下は比較的自由に振舞うことができます。
こういう組織は、トップの独断で物事を決めるのではなく全員の合意が必要となります。
そのため構成メンバー内における軋轢は少なくなります。
ただし、行き過ぎてしまうと、根回しなどのような作為的行動がはびこってしまい、結果歪んだ合意になる恐れもあります。
スピード感を少し犠牲にしてでも、大事な事柄ほど全員が腹の底から納得して合意することが大切です。
<東洋人物学にみるすぐれた人物像>
第一等・・・深沈厚重
第二等・・・磊落豪雄
第三等・・・聡明才弁
そして吝嗇
全てを使い切らず
余りや余力を残すこと
人間の欲は、生きるために必要なものかもしれません。
しかし、その欲をほどほどに抑えること
それが大事です。
これが人としての長寿の秘訣
国民が皆そうなら国家は永続
人類が皆そうなら地球も永遠
世の中は資源の節約と持続性を求めています。
しかし、まず節約すべきは “ 心の欲 ” です。
“ 心 ” に注目する
“ 心の時代 ”
真の到来が待たれます。