成富兵庫(注・直茂、勝茂に仕え、武功とともに治水に名を残す)申され候は、「勝ちといふは、味方に勝つ事なり。味方に勝つといふは、我に勝つ事なり。我に勝つといふは、気を以て体に勝つ事なり。かねて味方数万の侍に、我に続く者なき様に、我が身心を仕なして置かねば、敵に勝つ事はならぬなり。」と。〔聞書第七〕
(成富兵庫殿がいわれたことである。
勝利とは味方に勝つこと、味方に勝つとはわれに勝つことである。われに勝つというのは、おのれの意志によって事物を動かす(自分自身の気力によって主体的な条件を有利にかえていく)ことである。
日ごろから、味方の数万の侍のなかに、われに続くほどの者はないというくらい、身心をきたえておかぬことには、敵に勝つことはできない、と。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
戦いの場で大将が成すべきこと
先陣を切って
自らの力で敵を圧倒する
部下が前進できなくなったときに
自らが先頭に立ち局面を打開する
大将がそのような姿勢であってこそ、部下は心を奮い立たせます。
逆に、いつも後方にいて前面に出ず、ただ差配するだけというような大将なら、部下の意識と勇気は水を浴びせかけられたように消沈します。
組織や集団の成果は
その大将の力量次第
大将には極めて強い精神力が求められます。
その精神力・意志の力によってこそ、武技の力が高まります。
味方や部下から認められるには、精神力、思考力、洞察力、決断力、行動力、武力、勇気、全てにおいてその隊・組織のトップレベルでなくてはなりません。
いわゆる “ スーパーマン ” でなくては務まらないのです。
現代ではスポーツの世界の一部以外ほとんど見られません。
しかし
協調や協力によって
物事を成していくプロセスには
依存心あるいは他人事というような
自分主体でない思考が入り込んできます
戦国時代から20世紀まで、我が国には強いリーダーが存在し、次の時代を切り拓いてきました。
そこには、強力かつ強烈な精神力が見て取れます。
合意を得た上で、皆で一緒にというようなスピード感や重量感では、事は成し遂げられません。
21世紀の今日
我が国を始め先進国は
切り拓くべき次の時代が
見えていないのでしょうか
しかし
いずれ間違いなく
好むと好まざるにかかわらず
時代の転換点がやってきます
そのとき
底力が残っていなくてはなりません
自らが主体であること
少なくとも
自分の人生は自分が律し
自らの意志にもとづいて
営むこと
本書には、“勇気”を勧める教訓談が追加されています。
― 大木前兵部(注・鍋島藩創業に参画した功臣)勇気勧めの事
兵部組中参会の時、諸用済みてよりの話に、「若き衆は随分心掛け、勇気を御嗜み候へ。勇気は心さへ付くれば成る事にて候。刀を打折れば手にて仕合ひ、手を切落さるれば肩節にてほぐり倒し、肩切離さるれば、口にて、首の十や十五は、喰切り申すべく候。」と、毎度申され候由。(聞書第七)
(大木前兵部が会合の終りに話された。
「若き者は勇気を心がけるように。勇気は心さえ固まれば手に入れられるものである。
刀が折れてしまったら手で戦うことができる、手を切り落とされたら肩でぶつかり相手を倒すことができる、肩を切り離されたら口がある。敵の十人や十五人の首を喰切ることさえできるのだ。」
ということをいつも語っていた <筆者の現代訳> )