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COLUMNSブログ「論語と算盤」

生の価値観をつかむ

2024年1月22日

のたまわく、んぬるかな。われいまあやまちを見て、うちみずかむる者を見ざるなり。〔公冶長第五〕

(先師が言われた。

 「なんともしょうがない世の中だなあ。

 私は、まだ、自分のあやまちを認めて心の底から自分を責める人を見ない」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

自分を責める

自分を戒める

 

自省がなければ

人は単なる物体

 

 

 

自戒・自省とは、例えば言い過ぎや忘れ物など、表面的な現象面を対象にすることではありません。

それを対象にして自分を責めてしまうと、自らを卑下し、自信を失い、自虐的な思考や鬱になってしまう可能性もあります。

 

 

そうではなくて、自らの心棒、心の軸が歪んでいないか、自らの生き方として真っすぐかどうかを反省すること、それこそが自戒・自省です。

 

 

 

正しい考え方ができているか

 人としてあるべき言動ができているか

  天道に沿うことができているか

 

 

これらの問いに対して、見本や目標となるわかりやすい指針が偉人の生き方であり、古典や伝記として知ることができます。

 

 

 

古典や伝記から得るべきこと、感じるべきことは、その人がいかに素晴らしかったかというような、表面的な感動の話ではありません。

 

 

どういう局面で、どう考え、どう行動したのかというような、根本的な「生の価値観・判断基準」をつかむことです。

 

そこに感銘を受けることです。

 

そしてその感銘したことを自らに移植していくことです。

 

 

 

その「生の価値観・判断基準」と今の自分を比べるとき、初めて自分を正しく真正面から責めることができ、戒めることができます。

 

 

 

いまの世の中は、健康第一ということで、さまざまな運動や食生活の情報であふれています。

これは、肉体という道具を長く使うために、ありがたい情報と言えるでしょう。

 

一方で、その肉体を司る心の面、心のストレッチや心の栄養に関する情報はほとんどありません。

 

 

人として生を受けた以上、細菌や微生物のように条件反射だけで生きていくのは創造主の “ 天の意向 ” に反する行為です。

 

 

 

古典や伝記で

 感銘を受けた

  真の生き方

   生の価値観

 

 

誰にでも思い出す話やことがらがあるはずです。

 

 

 

そこからしか「生の価値観・判断基準」は育まれず、本当の意味での(小手先のテクニックではない)生き抜く知恵も湧いてきません。

 

 

 

 

本当の意味

自分の主観にもとづいた

“ 本当の意味での生 ”

その “ 生 ” を全うしたいと思います。