子曰わく、已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。〔公冶長第五〕
(先師が言われた。
「なんともしょうがない世の中だなあ。
私は、まだ、自分のあやまちを認めて心の底から自分を責める人を見ない」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
自分を責める
自分を戒める
自省がなければ
人は単なる物体
自戒・自省とは、例えば言い過ぎや忘れ物など、表面的な現象面を対象にすることではありません。
それを対象にして自分を責めてしまうと、自らを卑下し、自信を失い、自虐的な思考や鬱になってしまう可能性もあります。
そうではなくて、自らの心棒、心の軸が歪んでいないか、自らの生き方として真っすぐかどうかを反省すること、それこそが自戒・自省です。
正しい考え方ができているか
人としてあるべき言動ができているか
天道に沿うことができているか
これらの問いに対して、見本や目標となるわかりやすい指針が偉人の生き方であり、古典や伝記として知ることができます。
古典や伝記から得るべきこと、感じるべきことは、その人がいかに素晴らしかったかというような、表面的な感動の話ではありません。
どういう局面で、どう考え、どう行動したのかというような、根本的な「生の価値観・判断基準」をつかむことです。
そこに感銘を受けることです。
そしてその感銘したことを自らに移植していくことです。
その「生の価値観・判断基準」と今の自分を比べるとき、初めて自分を正しく真正面から責めることができ、戒めることができます。
いまの世の中は、健康第一ということで、さまざまな運動や食生活の情報であふれています。
これは、肉体という道具を長く使うために、ありがたい情報と言えるでしょう。
一方で、その肉体を司る心の面、心のストレッチや心の栄養に関する情報はほとんどありません。
人として生を受けた以上、細菌や微生物のように条件反射だけで生きていくのは創造主の “ 天の意向 ” に反する行為です。
古典や伝記で
感銘を受けた
真の生き方
生の価値観
誰にでも思い出す話やことがらがあるはずです。
そこからしか「生の価値観・判断基準」は育まれず、本当の意味での(小手先のテクニックではない)生き抜く知恵も湧いてきません。
本当の意味
自分の主観にもとづいた
“ 本当の意味での生 ”
その “ 生 ” を全うしたいと思います。