綱茂公(注・鍋島綱茂、光茂の子、佐賀藩第三代領主)初めて御暇にて、御父子様御同然に御下国遊ばれ候。若殿様初めて御下国と申し候て、在々の者も道の左右に罷出で、拝み上げ申し候。後に光茂公へ、「私通り申し候を、皆々拝み申し候。」と仰せられ候へば、「それは心入が入る事なり。我は人より拝まるゝ位などと存ずまじき」由、きびしく仰せられ候由。
(綱茂公が、はじめて江戸表からお国元へ父君光茂公とお下りになったとき、若殿様ははじめてのご下国というので、村々の者たちが道の左右に出て、拝んでいた。その後、綱茂公が光茂公に「私が通るのを、皆、拝んでおりました。」といわれたところ、光茂公は「それについては、よく考えねばならぬ。自分のことを、人から拝まれるだけの価値があるなどと思ってはならぬぞ。」ときびしくいわれたとのことである。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
裕福な家、名士の家に生まれると、否が応でも周りから持ち上げられます。
それに調子に乗ってしまうと、大きなしっぺ返しを食らうものです。
貧乏な家に生まれると、つらさや苦しさを味わうことになります。
憤りを感じ、反発心が生まれてきます。
それをもとに日々の苦難を乗り越えて、自分の人生を切り開いていくことは、古今東西、老若男女を問わず、人生の醍醐味です。
もちろん、貧乏に生まれれば皆が成功するわけではありません。
大多数の人は、道半ばでその一生を終えることになるでしょう。
また、貧しさを糧にできず、賤しさに転化してしまったら、悪の道に進んでしまうかもしれません。
一方、裕福な家に生まれたら必ず高慢な人になるとも言えません。
謙虚で、信念を貫いて、周囲の人を明るく幸せにしながら、日々を力強く生き抜く人もいるでしょう。
だだし、ここでも賤しさに染まり、悪の道や怠惰な道に進んでお家を傾かせる輩も生じます。
多くの人が、高慢な気分、反発心が芽生えた気分、両方感じたことがあるのではないでしょうか。
また、楽をしようと思ったり、その一方で正義というものを真剣に考えたり。
人の心はうつろいやすいものです。
そんな一人の人間として
いかに生きるべきか。
その指針を与えてくれるものの一つが、先人の知恵、その集大成である古典です。
現代、様々な場面でノウハウやスキルというものが重宝されていますが、なかなかうまく使い回せません。
逆に悪い状況に陥ってしまうことさえあります。
しかし、古典の知恵はそんなふうに私たちを裏切ったりはしません。
前者は、必要なときに用いる道具であり、用が済めば、自分の中から流れ出ていきます。
それに対して後者、古典の知恵は、自分の内面に染みついて残る財産、底力になります。
心の背骨、考え方の道標として、人生をより良い方向に誘ってくれます。
現代の学びは、そのほとんどが時務学と呼ばれる “ 末学 ” です。
いわゆる「情報」が大半を占めており、世の流れに追いつこうする学びです。
それに対して古典は、人間学と呼ばれる “ 本学 ” です。
人としていかにあるべきか、いかに生きるべきか、そして徳性を養う学びです。
くれぐれも “ 本末転倒 ” にならぬよう、心がけねばなりません。
山高きが故に貴からず
樹有るを以て貴しとなす
(山は高いからといって価値があるわけではない、そこに樹があってこそ価値が出てくる)
人肥えたるが故に貴からず
智有るを以て貴しとす
(人は太ってふくよかであるから立派なのではない。知恵があってこそ立派な人といえる)
<引用:ともに実語教>