人才には、小大有り、敏鈍有り。敏大は固より用うべきなり。但だ日間の瑣事は、小鈍の者卻って能く用を成す。敏大の如きは、則ち常故を軽蔑す。是れ知る、人才各々用処有り、概棄すべきに非ざるを。〔晩二五一〕
(人の才能には、小あり大あり、敏い人がいれば鈍い人もいる。敏捷で才能が大きな者は、もちろん用いるべきである。ただ、日常の細かなことは、鈍くて小さな才の者のほうがかえってよく役立つものである。敏捷で大きな才能があると、日常の当たり前のことを軽蔑してしまうところがあるからである。
こうしてみると、人の才能というのは用いるところがそれぞれにあって、一概に捨て去るべきではないことがわかる。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人はそれぞれ違いがあり
各々に得意な分野
活躍できる場面があるもの
上に立つ人は、そのような一人ひとりの長所に目を向けておかなくてはなりません。
短所に着目したところで、公私の様々な場面で役に立つことはありません。
己に如かざる者を友とすること無かれ。
〔論語 子罕第九〕
(人の短所を友にするものではない)
部下の長所をつかむには、一人ひとりを常に客観的に観察しなくてはなりません。
そのためには、自らを孤高の域に置き、不必要な情が生じないように自らを律することです。
また、各人の特性を、いかに長所として活かすか、その道筋も見出さねばなりません。
このとき、上に立つ者の知見が狭いと、その人をどこに用いれば最大の効果が発揮できるのかわからないでしょう。
上に立つ人は、人を“見る目”を養うと同時に、眼前に現れる様々な場面や事象について、その構造をつかみ取る力が求められるのです。
それができない、あるいは組織や世のためでなく、自分を第一に考える者は、やがて内面から腐っていきます。
“ いつも太鼓持ちや三味線ひきなどとばかりつきあっていたら、たちまち滅亡に及ぶのは必定だし、それもごもっとも、これもごもっともと錆びつく連中ばかりと交っていたら、正宗の名刀でも腐って役に立たなくなるだろう。”
<引用:『二宮翁夜話』福住正兄 原著 佐々井典比古 訳注 致知出版社>
『言志四録』は佐藤一斎の語録ですが、師には他にも、自身出身の岩村藩のために選定した十七条憲法、『重職心得箇条』という書があります。
“二
大臣の心得は、先ず諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし。
もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。
有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又賢才と云ふ程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。人々に択り嫌なく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能く用ると云ふ事こそ手際なり、此工夫あるべし。”
(大臣の心得として、まず部下、諸役人の意見を十分発表させて、これを公平に裁決するのがその職分であろう。
もし、自分に部下の考えより良いものがあっても、さして害のない場合には、部下の考えを用いる方が良い。
部下を引き立てて、気持ち良く積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが重要な職務である。また、小さな過失にこだわり、人を容認して用いることがないならば、使える人は誰一人としていないようになる。功をもって過ちを補わせることがよい。またとりたててえらいというほどの者がいないとしても、その藩ごとに、それ相応の者はいるものである。択り好みをせずに、愛憎などの私心を捨てて、用いるべきである。自分流儀の者ばかりを取り立てているのは、水に水を差すというようなもので、調理にならず、味もそっけもない。平生嫌いな人を良く用いる事こそが腕前である。この工夫がありたいものである。)
<引用:『佐藤一斎 重職心得箇条を読む』安岡正篤著 致知出版社>
個々の長所を生かすなら
人々は人財となり
そして無尽蔵です
短所を見て切り捨てるなら
人々は人材となり
いくらいても不足します
“ うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる ”
(相田みつを)
知恵と工夫によってこそ
深奥で真理がつながります