人情の識有り、物理の識有り、事体の識有り、事勢の識有り、事変の識有り、精細の識有り、濶大の識有り。此れ皆兼ぬべからざるなり。而して事変の識は難しと為す、濶大の識は貴しと為す。〔物理〕
(物理の識
物理などというのは物の理だから極めて明白で、科学がこれを明らかにしておるというけれども、これも単なる知識と見識とでは大いに違ってくる。なかなか本物の物理は難しいものであります。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
物理をどう感じますか。
宇宙は、138億年ほど前のインフレーション、それに続くビッグバンにより生まれ、現在でも拡大し続けているそうです。
地球以外の星に生命が存在する証拠はまだ見いだせていないようですが、太陽系の星々における大気構成などはかなり判明しています。
しかし、宇宙全体を構成する物質については、未だ90%以上がわかっていません。
ダークマターやダークエネルギーという呼称で、ほぼ一括りにしている状態です。
人体について
昔、血圧というものは、上が「年齢+90」以内であれば良しとされていました。
それが近年では、何歳であれ135を超えると高血圧と認識されるようになっています。
さらに、120台でなければならないような雰囲気も出てきています。
もっと言うと、上の値と下の値の差や、日々における上の値の変動幅などが大きすぎると良くないとも言われています。
どうやら、日がな一日何もせず、じっとしているのが王道かもしれません。
いずれにせよ、科学における研究領域は、今後数千年から数万年ほど検討されるくらい大きな余地がありそうです。
一方、その不明な余地において、真実が捻じ曲げられてしまいがちです。
本書では安岡正篤師が、農薬の害毒を明らかにしたレイチェル・カールソン女史の苦難の日々について触れられています。
彼女の研究成果に対して、他の専門家が文句をつけ、攻撃し、悪評や誤解を生み出していったのです。
利権が絡むと、単純な事実さえ捻じ曲げられてしまいます。
そんな人間社会の中、私たちが生きるために必要な法則、真実とは何でしょう。
私はそれを “ 天道 ” と考えます。
“ 天には善悪がない。それゆえ稲もはぐさも差別せずに、種のあるものはみんな生育させ、生気のあるものはみんな発生させる。
天道にまかせておけば、田畑もみんな荒地となって、開びゃくの昔に帰ってしまう。
人道はその天理にしたがいながらも、その内でそれぞれ区別をして、ひえやはぐさを悪として米麦を善とするように、すべての人の身に便利なものを善として、不便なものを悪とする。”
“ 大きな事をしたいと思えば、小さな事を怠らず勤めるがよい。小が積って大となるからだ。およそ小人の常として、大きな事を望んで小さな事を怠り、できにくいことに気をもんで、できやすいことを勤めない。それゆえ、ついに大きな事をなしとげられない。それは、大は小の積んで大となることを知らないからだ。
たとえば、百万石の米といっても粒が大きいわけではない。一万町歩の田を耕すのも、一くわずつの手わざでできる。千里の道も一歩ずつ歩いて行きつくのだし、山を作るにも一もっこの土を重ねてゆくのだ。
この道理をはっきりわきまえて、精を出して小さなことを勤めてゆけば、大きな事は必ずできあがる。小さな事をいい加減にする者は、大きな事は決してできぬものだ。”
“ 人はもちろん、鳥獣・虫魚・草木にいたるまで、およそ天地の間に生々するものは、みんな天の分身ということができる。なぜなら、ぼうふらでもかげろうでも草木でも、天地の造化の力を借りずに、人力でもって生育させることはできないからだ。~中略~ 人と鳥獣と草木と、何の区別があろう。
それなのに世人が、生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。生きて仏であるからこそ、死んで仏なのだろう。生きているうちは人で、死んだら仏になるという道理はありえない。生きてさばの魚が、死んでかつおぶしになる道理はない。林にあるときは松で、切ったら杉になるという木はない。”
<以上三話の引用:『二宮翁夜話』福住正兄 原著 佐々井典比古 訳注 致知出版社>
天道は法則であり真実です
私達はその天道にしがたい
自分の全身で世界を見定め
自分自身で考えて生きぬく
それが尊い人生ということ
それに変わりはありません