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COLUMNSブログ「論語と算盤」

含徳

2023年11月3日

含徳がんとくの厚きはせきす。どくちゅうさず。猛獸もらず。かくちょうたず。骨弱く筋柔らかけれども握ること固し。未だ牝牡ひんぼうの合を知らずして竣作すいおこる。精の至りなり。終日けどものどれず。和の至りなり。和を知るを常と曰う。常を知るをみょうと曰う。生をすをしょうと曰う。心、氣を使うを強と曰う。物さかんなれば老ゆ、是を不道とう。不道は早くめよ。〔含徳之厚章第五十五〕

(内にふくんだ徳が最高度に達した人、これはちょうど生まれたての赤んぼうと同じである。生まれたての赤んぼうというものは、毒虫もこれを刺すことをしない。猛獣もこれにつかみかかることをしない。猛鳥もこれをたたこうとはしない。

 赤んぼうの骨はいかにも弱々しく、赤んぼうの筋肉はこのうえなく柔らかいけれども、しかし赤んぼうが握りこぶしを握ったこの握り方はひどく固い。まだ男女の結合ということの存在はまったく知らないけれども、赤んぼうの陰茎が固くなる。というのは、内なる精気が盛んだからである。

 赤んぼうは一日泣いても、けっしてのどが嗄れることがない。これはその赤んぼうの心に、怒りというものがなくて、その気がこのうえなくやわらいでいるからである。このやわらぎを知る、この純粋なる気のやわらぎを知れば、永遠不易になることができよう。この永遠不易の道を知ること、それを道に明らかという。

 人間の寿命は、これをすことができない。寿命を強いて益そうとする、それはかえって不吉な行動という。

 自分の意思で血気を無理に動かそうとすること、それを強がりという。強がりは必ず折れる。

 おのれの強壮さとか自分の元気さを誇るものは、早く年をとる。

 これらの行動、寿命を無理に益そうとする、心で気を遣おうとする、強壮を誇る、これらのことを道にはずれたふるまいという。

 道にはずれたふるまいは、早くやめるがよい。)

<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

含徳とは

徳をかくし蓄えて外にあらわさない

かくれたる徳

内蔵せられた徳をいう

(本書解説より)

 

 

 

 徳を高めることとは、自らの中に善悪、苦楽など様々な事柄を受け入れ、そして整理し、そこから得られる真の知恵、深い知恵を積み上げていくことでしょうか。

 

積み上げられた知恵は徳へと昇華するのでしょうが、それを外に現わさない行為自体も徳そのものでしょう。

 

 

しかしその人物の言動からは

その徳が滲み出ます

 

それが人々を惹きつけます

周囲から一目いちもく置かれます

 

よって攻撃されるようなことはなく

逆に尊敬されることになるでしょう

 

 

 

 

そんな徳を持ち合わせた人物に出会ったとき、滲み出る徳を感じられるでしょうか。

 

感じられる人になることが大切です。

 

もしも、赤ん坊のように素の心でいられるのなら、全てを感じ取ることができるでしょう。

 

なぜなら、赤ん坊はこの世で生きるための知恵を欲しがっているのですから。全力で。

 

 

飾りのない、攻めや保身の気持ちもない、“ がらんどうの道 ”のような心で他者と触れ合いたいものです。

 

 

 

徳を感じたい

 

それは相手の徳

それに気づく自分の徳

 

 

老子の言う道

天道に従い生きること

 

 

もっともっと積み上げ

自分の中で発酵させる

 

徳を高めて内に秘める