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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人を残す

2020年10月16日

こころざしるの士は利刃りじんごとし。百邪ひゃくじゃ辟易へきえきす。志無きの人は鈍刀どんとうの如し。童蒙どうもう侮翫ぶかんす。

(言志録33:志がある者は鋭利な刃のようなもので、多くの魔物も退散してしまう。

 志の無き者は切れない刀のようなもので、子供ですらも馬鹿にする。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

「あなたの志は、どういうものですか?」と聞かれて、答えられる人は少ないでしょう。

 

 佐藤一斎(儒学者:1772.11.141859.10.19)は、なぜ人は生まれたのか、それは天に意図があるからとします。

天を師とし、天から与えられた役割を果たさねばならず、いい加減に生きてはいけないと諭します。

天からの意図を汲み、自らの志をしっかり立てて、人生を生きてゆけということでしょう。

 

 ただし「言うは易く行うは難し」です。ゆるぎない志を持つことは容易ではありません。

「よし、これだ」と思っても3日も経てば忘れてしまう、意欲が薄れてしまうなど、私など日常茶飯事です。

 

 その一方、自分が死の床についたとき、成果を出すことができていなくても、天の意向に沿った志を貫くことができたと感じられれば、人生に悔いは残らないでしょう。

 この、最後の1分のために、自分の人生をいかに生きていくかが重要なのでしょう。

 

 激動の明治に活躍した後藤新平(医師、政治家)は、死の当日、「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」と言ったそうです。また、「死んで名を残す者は中位」と言う人もいますが、いずれにして上等なのは「死して人を残す」こととされています。

 

 次代を創り、担っていく「人」を残すことが今を生きる人々の大仕事と言えそうです。

 

 魔物が退散するほどのものでなくとも、小さくても良いので、天の意向を真正面から感じ取り、自分が生まれた理由、つまり自分の役割を果たしていきたいものです。