志有るの士は利刃の如し。百邪辟易す。志無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫す。
(言志録33:志がある者は鋭利な刃のようなもので、多くの魔物も退散してしまう。
志の無き者は切れない刀のようなもので、子供ですらも馬鹿にする。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
「あなたの志は、どういうものですか?」と聞かれて、答えられる人は少ないでしょう。
佐藤一斎(儒学者:1772.11.14~1859.10.19)は、なぜ人は生まれたのか、それは天に意図があるからとします。
天を師とし、天から与えられた役割を果たさねばならず、いい加減に生きてはいけないと諭します。
天からの意図を汲み、自らの志をしっかり立てて、人生を生きてゆけということでしょう。
ただし「言うは易く行うは難し」です。ゆるぎない志を持つことは容易ではありません。
「よし、これだ」と思っても3日も経てば忘れてしまう、意欲が薄れてしまうなど、私など日常茶飯事です。
その一方、自分が死の床についたとき、成果を出すことができていなくても、天の意向に沿った志を貫くことができたと感じられれば、人生に悔いは残らないでしょう。
この、最後の1分のために、自分の人生をいかに生きていくかが重要なのでしょう。
激動の明治に活躍した後藤新平(医師、政治家)は、死の当日、「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」と言ったそうです。また、「死んで名を残す者は中位」と言う人もいますが、いずれにして上等なのは「死して人を残す」こととされています。
次代を創り、担っていく「人」を残すことが今を生きる人々の大仕事と言えそうです。
魔物が退散するほどのものでなくとも、小さくても良いので、天の意向を真正面から感じ取り、自分が生まれた理由、つまり自分の役割を果たしていきたいものです。