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COLUMNSブログ「論語と算盤」

子曰く、学んで時に之を習う、亦説ばしからずや

2020年10月15日

のたまわく、まなんでときこれを習う、またよろこばしからずや。

(先師が言われた。「聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか。」)

<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>

 

 ブログ開始の初の言葉としました。出典の「論語」とは、紀元前552~479年を生きた孔子と高弟たちとの間のやりとりを、弟子たちが記録したものです。

 

 聖者として生き方、賢者としての生き方、これらを学び、適切なときにその知恵を実践してその真意をつかむ、つまり納得して自らの血肉にしていくこと、これはなんと楽しく有意義ではないかという意味になります。

 今の時代、一国のリーダーしかり、一部の政治家や組織の長などの言動は、聖賢の道からかけ離れている感があります。

 

 義務教育で9年間、大学まで行けば16年間学んできた私たちは、古人よりも進化したのでしょうか。意味のない安定を得るために、褒められるために、見栄を張るために、人生の貴重な年月を犠牲にしているのだとすると、あまりにも愚かです。

 

確かに、お陰様でいくつかの知識は得ています(とは言っても、そのほとんどはやがてAIが完備してくれる類でしょう)。

 

その一方、より良く生きるための知恵は、残念ながらほとんど持ち合わせていません。

 

 こんなところから、ブログに古典を取り上げようと思いました。

古典は、三千年前からの古人の知恵の結集であり、人生を歩んでいくための「世界最高の知のデータベース」です。

 

そして、それを日常で活用することに何ら難しいことはありません。

 

人生100年時代とのこと。古典の実践によって、より良く生きていきたいと思います。