子曰わく、寗武子、邦に道有るときは則ち知なり。邦に道無きときは則ち愚なり。其の知は及ぶべきなり。其の愚は及ぶべからざるなり。〔公冶長第五〕
(先師が言われた。
「寗武子は、国に道が行われている時には、知者としてその才能を発揮したが、国に道が行われない時には控え目にして愚者のようであった。
その知者ぶりには及ぶことができても、その愚者ぶりには及ぶことができない」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
今日の言葉は、寗武子の振舞いやその時代背景を理解した方がわかりやすいでしょう。
紀元前600年頃、衛の国は、北方の晋と南方の楚の間で悪戦苦闘する小国でした。
君主の成公は、国外に亡命したり復帰したり、その度に政変が起こるような困難な情勢でした。
衛国の中でも、晋に付く側と楚に付く側との争いも絶えなかったようです。
そんな状況の中、衛の大夫であった寗武子は、国を守るため、国人を一つにまとめようと粉骨砕身しますが、それはまさに火中の栗を拾うような、損な役回りが多かったようです。
しかしその行為は、自らの身を危険に晒してでも君主の成公を支えようとする強い意志から発したものであり、その姿勢や忠誠心は晋国からも尊敬されたとのことです。
<参考:宮武清寛氏ブログ>
国が混乱し、強大な障害が立ちはだかるとき、愚直に道を貫くことは容易ではありません。
逆境のときこそ、真の力が試されるのです。
また、寗武子は、愚か者を演じるような工夫もあったようです。
他国に招かれた折、歓迎の音楽が誤った選曲になっていることに気づいた寗武子は、規律ある礼を行いませんでした。
主催者が無知な愚か者と察したのか、そっと注意したところ、寗武子は、楽団はまだ練習中でしょうととぼけたそうです。
つまり、選曲を誤った主催者の顔をつぶすことなく、誤りに気づかせたというわけです。
道が行われていないとき
利口者ではなく
愚か者としての行為によって
一つ一つ正していく愚直な姿勢
これこそが君子の姿なのでしょう
それに対して順境時には
君子でなくとも多くの人が
自分の力を発揮できます
このことは
今も昔も変わらない
不変の真理なのでしょう
「これが正しい道だと固く信じているのであれば、その道がどんなに険しかろうと、どんな悪天候に遭遇しようと、その道をまっすぐ頂上まで登るべきだと、私は心に決めた。(中略)安易な道はたいていの場合、ゴールへ導いてくれないのである。」
<出典:「稲盛和夫一日一言」稲盛和夫著 致知出版社>
心の深層
内なる心
そこに信念や理想があれば
人生を賭してでも追うこと
利口ぶって
損得勘定で
無難に処すは
見栄と享楽を追うにすぎず
空虚な人生への誘いとなる
「すぐれた理想家ほどすべてに誠実であり、うそをやらず、うその上に立たずに、今日から現実の中で歩き出すという意味ではむしろ最も現実的です。厳しい現実の上に立って、しかも現実だけにとらわれず、見るべきを正しく見定めて、断固として自分の進もうとする道を進むところにその偉さがあると思うのです。」
<出典:「平澤興一日一言」平澤興著 致知出版社>