世を治むるには無偽より先なるはなく、民を救ふるには只是不争とす。〔治道〕
(世の中を治めるのには偽をなくするより先なることはない。民を救うるには争わざらしむことである。)
<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>
“ 偽 ”を感じる時代
“ 偽 ”が至るところに転がっています。
偽が生じるのは争いに勝つためであり、それはまた争いの火種となります。
国際的には、自国の正当性を担保するために “ 都合の良い情報 ” を用いることが多く見られます。
さらには、その “ 都合の良い情報 ” さえ捏造されていたりします。
このようなことは、日常においてもそこかしこで見られます。
つまり、政治家の思考と、巷で見られる井戸端会議が同レベルになってきているということです。
市井の人々の思考レベルも上がってはいるでしょうが、政治家の思考レベルが極端に落ちてきているような気がします。
また、個人と国家権力の間の様々な組織においても、“ 偽 ” がはびこっていることは想像に難くありません。
どうすれば良くなるのでしょうか。
安岡師は「今日の政治家が本当に良心的になったならば、それこそ幾日も安眠することができないだろうと私は思う。しかるに人間というものは複雑ですから、なかなか真実をおさえて事を救っていくことは難しいものであります。」と続けられています。
少なくとも私たちは、身近な人々と正しい情報や真実を本にして交流すべきでしょう。
その経験を深め、心の深層で交流する感覚をつかむことです。
すると、偽を見極めることができるようになるはずです。
なんとなれば、偽のない世界での営みこそが、人類が持つ性質、備わった機能だからです。
真実を求めることは重要です。
これは、なんとか辿り着くしかありません。
数値的資料があれば明確ですが、そうでない場合、少なくとも “ 偽である ” ことを見抜く力が必要です。
自己修養、自己陶冶しかありません。
その上で、さらなる課題が見えてきます。
「~特に現代の如き世界に於て大切な問題であると思うことは、先哲に親しむ人が往々現実生活に於てとんだ矛盾を犯し、又煩悶を抱く事が多い事である。所謂理想と現実との矛盾葛藤である。本人は理想に精進している心算でいても、現実を超克する事が出来ずして苦しむ。さもなくば徒に感傷的になり、或は異常味を帯びて、独断、独善に陥り、世間と矛盾し、自ら時に合わず、世に容れられずとなし、然もそうなっても自己反省を忘れ、道に志すが故に時勢に合わなくなったので、これは世が悪いのだ、世皆濁り、吾独り澄めり。世皆酔い、吾一人醒めたりとの慷慨を抱くようになるのである。その結果狷介固陋になり、世間から変り者変人と看做されるようになる。
そこで益々捨てられるという傾向になる。世の所謂精神家ほど俗人を嫌い、又俗人からも嫌われ、しかもその本人が俗と言う俗世間から離れることが出来ない。こういう事では、誰と與にせんであって、吾々が人間として生き、人間と共に生きるものである以上、社会に生きる者であればある程、現実の処理が出来ねばならぬ。」
<出典:「活學 第一編」安岡正篤著 致知出版社>
真実で現実に対応すること
これが美しく力強い生き様