季文子、三たび思うて而る後に行う。子、之を聞きて曰わく、再びせば斯れ可なり。
(季文子(魯の大夫)は、三度慎重に考えて後に行った。
先師がこれを聞いて言われた。
「二回も考えれば十分だろう」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
どう解釈するか
孔子の言の源は、以前取り上げた『里仁第四‐二四』にある次の言葉でしょう。
「子曰わく、君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す。」
(先師が言われた。「君子は、たとえ口は重くても、行いはきびきびしようと思うものだよ」)
また、『衛霊公第十五‐一六』では、考えるだけで実行に移さないことを強く批判しています。
「子曰わく、群居して終日、言義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。」
(先師が言われた。「一日中、おおぜいの者が集まっていながら話が道義に及ばす、小ざかしいことをやっているようでは、人間の向上を望むことは難しいなあ」)
枝葉末節な事柄に振り回されてぐずぐずと動かないことが良くないとしているわけで、決して熟考を否定しているわけではありません。
行動しなければ状況は変わりません。
進歩向上のためには、どうしても行動が必要です。
しかし、当てずっぽうではいけません。
孔子は、仁義礼智信、そして道理に従うことを根本に置き、速やかに行動することを重視しています。
なすべきことをさっさと行う
これが重要
これだけ
現代に置き換えると、世の中の仕組みを理解・把握した上でどんどん行動していくということになるでしょう。
拙速か巧遅かということではなく、行動することが重要ということです。
ただし、判断基準は、大きな事柄、小さな事柄、時代とともに変化します。
二十世紀は
覇権、権力、発展、富などが
重視されました。
二十一世紀では
持続性、環境、貧困撲滅、公平公正な社会などが
重視されています。
それら判断基準を踏まえた上での、組織の舵取り、自分の人生の舵取りが求められます。
翻って、古の時代
孔子の重視する「仁義礼智信」
現代の価値観でも共感できるはずです
人が求める世
穏やかな世
平和な世
心から安住できる世
これこそ
古今東西不変の願い