道之を生じ、徳之を畜い、物之を形づくり、勢之を成す。是を以て萬物道を尊んで徳を貴ばざる莫し。道の尊き、徳の貴き、夫れ之を命ずること莫くして、常に自ずから然り。故に道之を生じ、之を畜い、之を長じ、之を育み、之を成し、之を熟せしめ、之を養い、之を覆う。生じて有たず、爲して恃まず、長として宰たらず。是れを玄徳と謂う。
(道、言い換えれば自然とか無とか、そういうものが万物を発生させる。そのときは、まだ生まれたものは形を成していない。
徳、すなわち道の働きが、それを養い、物としてこれに形をつける。物として血や肉をつける。
物と物との相対関係、勢いというものが、それを成熟させる。
だからして、万物は自分が生まれてきたもとである道を尊び、自分の体をつくってくれる徳、道の働き、そういうものを貴ばないではいられない。
道の尊さ、それから徳の貴さ、これはだれがそうさせるというのでなくて、常に自然にそうなる。
だから、道があらゆるものを発生させ、道の働きがこれを畜い、これを成長させ、これを育て、これを完成させ、それからこれを成熟させ、これを養い、これを鳥が卵を抱くように大切に保護してやる。
造物主は、このようにして万物を生みながら、その生まれたものを自分の所有物とはしない。あらゆる仕事をしながら、自分の手柄を誇らない。あらゆるものの長でありながら、主宰者づらをしない。
こういうのを目に見えない、もっとも微妙な徳というのである。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
有は無からしか生まれない
多くの人は何がしかのことを企てます。
善もあれば悪もあり、意義のあるもの、無いものもあるのでしょう。
しかし大概、芽が出ず終わりをみます。
それは、手垢のついた“有”から、さらなる“有”を生み出そう、育てようとする行いだからでしょう。
それらの働きは
徳、道によって成されるべきこと
人が口を挟むことではない
では、この世を良くするにはどうすれば良いのでしょうか。
『言志四録』に、過去に取り上げましたが、次の言があります。
太上は天を師とし、
其の次は人を師とし、
其の次は経を師とす。
〔言志録二〕
(最上の人物は天(宇宙の真理)を師とし、第二級の人物は聖人や賢人を師とし、第三級の人物は聖賢の書を師として学ぶ。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
天の命に従って為すこと
これが良くしていくコツ
私心があってはうまくゆかない
天保七年(一八三六)、烏山(今の栃木県那須郡烏山町)の円応和尚が村の衰廃を嘆き、二宮金次郎翁の元へ出向いて陳情したとき、翁は次のように追い返しました。
「世の中のことは、おのおのの職分があって相奪わぬようにできている。~中略~お前さんは自分が勤め行うべき事柄を怠っておいて、この凶年に当り、国君の道を私して飢民を救おうという考えを起こし、力が足りないで私にその道を求めようとまでする。これは仏道ではなくして、お前さんの我意を立て、名を釣り、誉を求める形である。その志は不善から出たものではないけれども、その行いは大いに道を失っている。お前さんが本当に民の飢渇を嘆くならば、どうして領主に進言してこれを救わせないのか。進言しても国君が愚かで救うことができなければ、これまた天命でいたし方がない。~中略~自分の任務でないことをたくらみながら、仏の本意にかなうと言っている。そんなことで、どうして仏の道を知っていると言えるか。」
<出典:「報徳記」富田高慶 原著 佐々井典比古 訳注 致知出版社>
天が創った仕組み
それをきちんと活かし
天の命を形にしてゆく
それが肝心
最後に、言志四録からもう一つ。
凡そ事を作すには、
須らく天に事うるの心有るを要すべし、
人に示すの念有るを要せず。
〔言志録三〕
(すべて事業を行うには、必ず天の意志に従う心を持つべきである、他人に誇示する気持ちがあってはいけない。)
<出典:同前述>