己れの長処を言わず、己れの短処を護せず。宜しく己れの短処を挙げ、虚心以て諸れを人に詢うべし。可なり。〔晩録二四五〕
(自分の長所を口にせず、自分の短所を弁護しない。むしろ、自分の短所を並べて、わだかまりのない気持ちでそれを人に相談するとよい。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
私は講師としてや講演で語るとき
あまり品があるとは言えませんが
“ すっぱだか ” でおることが大事と
よく申します
全てをさらけ出して、素の自分で生きることこそ、真の生に近づくと感じるからです。
しかしどうやら、多くの人は何か秘密を持ちたがっており、またそれを隠すことに何がしかの楽しみを感じているのではないかという気がしてなりません。
二十年ほど前、こんなことがありました。
個人情報保護法が、(案)として議論され始めたころです。
「こんな法律は必要ないよ」と、中小企業診断士が集う会合で言ったところ、「では、あなたの家のごみ箱を全てあからさまにできますか」と、問われました。
当然、「どうぞ、どうぞ」と応じたのですが、その質問の意図が分かりませんでした。
感覚的には、普通の人なら秘密や他人に知られたくない側面を持っており、それをゴミ箱に隠すように捨てているに違いない、という前提があるのだろうと受け取った次第です。
一体何を隠したいのか
何が恥ずかしいのか
誰も自分の意志で、隠し事のある人生を歩んでいこう、と希望して生まれてきたわけではないはずです。
みんな生まれた瞬間は、概ね同じ。
だから、秘密めいたことに意識が向くのは、置かれた環境や他者の意見に影響されてのことでしょう。
とすると
恥ずかしく思うことなど何もないのでは
ただし、それが自分の短所と感じるのであれば、信頼できる人物に進んで開陳し、相談するのが良いでしょう。
誰もが
希望して
この国に
その地に
その家族に
その体型で
その顔立ちで
その声で
生まれてきたわけではないのです。
天の差配として納得するしかありません。
であればこそ、この生をより良いものにしたい、より良く生きていきたいものです。
そのために、自分の周囲を整え、身近な人と助け合っていくことが大切ではないでしょうか。
しかも
そう
“すっぱだか” で
いまの自分の人生を
幸福にしていくこと
これこそが天への恩返し
それができれば
きっとお天道様も喜んでくれるでしょう