子曰わく、臧文仲、蔡を居く、節を山にし、梲を藻にす。如何ぞ其れ知ならん。
(先師が言われた。
「臧文仲(魯の大夫)は、国の吉凶を占う大亀を持ち、柱の上の桝型に山をほり、梁の上の短い柱に藻を描いている(これは天使の宗廟の飾りであるべきなのにおかまいなしにやっている)。どうして知者と言えようか」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
上に立つ人
賢者であってほしいものです
下にいる者は、自らが仕える人に対して理想的な人物であってほしいと願います。
新しい長が着任したとき、新しく組織に加入したとき、自分の長となる人、その上の長、さらに上層の人、皆が賢者であってほしいのです。
それが、おかしい言動が見られたり、今日の言葉のように礼節なく仕来りを無視したりするようなことがあれば、がっかりします。
良い意味での仕来りの変更は新しい展開を期待させることもありますが、自分の都合やエゴで変えるのなら、それは身の程知らずとみなされます。
豊臣秀吉は織田信長の長所を見てそれに共鳴し、明智光秀は逆に欠点を見てそれを治してあげようとしたと言われます。
組織に勢いがあるときは、短所があっても覆い隠され、部下達もついてくるものです。
しかし勢いがなくなれば
見えてくるのは短所のみです
ある組織は立派なショールームを建立しました。
そこまで会社を成長させたトップが
孫を抱いてその場に現れました。
この情景をどう感じますか。
“ご苦労が多かったでしょう。
孫に立派な姿を見せることができて
お幸せですね”
こう思うのは
組織の外にいる人の感情です
また
組織の中にいる人でも
組織の向かう方向を見ていない
単に所属しているだけような人も同じです
組織の中で真剣に働いている人たちは
“組織を私物化している”
と感じることでしょう
それまで
組織に対して持っていた
帰属意識は崩壊していきます
上に立つ人は
心して自らを律せねばなりません
部下は
一挙手一投足を見ているのです
組織の勢いに陰りが出る時期
そんな時でも
組織としての団結力で
事に当たることができるかどうかは
ひとえに部下の “ 心 ” 次第ですから